「はい、これで川崎と水森以外は全員揃いましたね」西村は集まった生徒達を一通り見渡しながら眼鏡のふちを人差し指で押し上げた。
「あいつら、学校行ってんじゃないかな」男子生徒が誰にともなく言う。
「見たの?」とアヤセ。紺色のネクタイをだらしなくゆるめる。
「また電車止まったんで歩いてたら、五号の前に止まってる電車でナツメがユウに寄りかかって寝てたんだよ。起きたらこっちじゃなくて学校に行くだろ」
「起こしてあげなさいよ」西村はため息をついて出席簿に印をつけた。きつく縛った髪、隙のないパンツスーツ、切れ長の目を中心にまとまった理知的な顔。三十才という年齢よりもいくぶん若く見られがちな女教師。しかしその引き締まった外見とは裏腹に、彼女はいつもどこかけだるい空気を漂わせている。
「まだ来るかもしれないから一応欠席にはしないでおいてよ」アヤセが進言する。隣で麻生が小さく頷く。
「ちゃんとシャーペンで書きましたよ。来たら遅刻に直すから」西村は古びたシャープペンと消しゴムを取り上げて見せ、彼らを安心させた。
「とりあえず皆さん、憩いをちゃんと見てて下さいね。もう一、二分ですから。あと、近付き過ぎないように。綾瀬みたいに。私、すごく困るんですから」
適当に並んだ生徒のうち幾人かが笑い声を上げる。アヤセも笑い、その袖を麻生が軽く引く。
「怪我とかされると本当に困るんですから」西村は繰り返した。
辺りの空気がにわかに慌ただしくなった。立ち入り禁止の札がかかったロープの内側に作業着姿の男が次々と現れたのだ。彼らはロープに沿って素早く整列し、見物人の集団を数歩押し返した。続いて彼らの奥に置かれたボタンだらけのパネルに三人の中年が取り付く。最初に出て来た男達と違って作業着に身を包んでおらず、黄色いヘルメット以外は動きやすい普段着といった趣の服装である。奴らが爆破技師か。アヤセは見当をつけた。三人はパネルをいじりつつ最後の打ち合わせらしき会話を行ない、期待とじれったさの入り交じった視線が彼らに集中する。アヤセはその様子を無視してタワーを見上げた。このふざけた建物をどこから爆破するんだろう。
三人の中年技師は手際良く爆破の手順を踏んでゆく。ボタンが押し込まれる度に『憩い』の各所が光ったりパネルから音がしたりと何かしらの反応があり、彼らを後方から見守る人々のどよめきを誘う。雰囲気から察するに、作業は順調に進んでいるようだった。
そして作業開始から数十秒が経過した頃だろうか、中央の技師がとうとう言った。
「三!」
その声はロープを飛び越え見物人達の神経を急激に引き絞った。
「二!」
アヤセはスラックスのポケットに突っ込んだ手を強く握りしめた。袖をつかむ麻生の手に力が込められるのを感じた。
「一!」
西村がわざとらしく出席簿を閉じ、彼女の前に立った人々はビクリと身体を震わせた。
次の瞬間、爆破が始まった。
まずタワーの根元から支柱の頂上まで一気に破裂音が駆け上がり、一歩遅れて白い煙が渦を巻いて溢れ出した。一連の爆竹に火をつけたような小気味良い動作。その数秒で支柱は見事にやせ細り、球体の重みに耐えかねた様子で崩落を開始する。技師がそれに反応して一際大きなボタンを殴りつけるように押すと、球体の火種が作動した。
今にも柱を押しつぶそうとしていた球体を、無数の小さな爆破が包み込んだ。それは惑星の破壊を彷佛とさせるもので、極点から現れた爆風は波紋のように広がり球体を包み込んでゆく。間もなくして球体は空飛ぶ瓦礫の集合体へと姿を変え、そして役目を終えた支柱と追うようにして島へと自由落下を開始した。
爆破の手順が全て終了すると技師達は再びタワーを見上げた。彼らが破壊した『憩い』は今まさに素材へ回帰しようとしていた。煙は舞い上がり、薄黄色の外壁と乱れ輝くガラスの破片がそれらをかき分けて加速する。そこ以外の時間が凍結してしまったような、不思議なほど静かな光景。少し前まで『憩い』としてそびえ立っていたそれは、抵抗の素振りも見せずに生涯を終えてゆく。アヤセはわずかに咎めるような痛みを感じたが、すぐにそれを握り潰した。
そして間もなくタワーは大粒の岩山へと帰結し、一帯に音が戻って来た。
どこかからカラスのような鳴き声が聞えて、正気を取り戻した見物人達が歓声を上げた。手を叩き、互いに握手をし、ざまあみろと叫んで中指を立てる。パネル前の技師達は顔を見合わせ苦笑した。
アヤセもまた喜びを隠せない側の一人だった。麻生を勢い良く抱き上げ二度三度とターンを繰り返す。気に食わないのっぽの建物が吹き飛んだのだ。しかも作った奴らの手で。
「アヤセ君!」
頭の上から聞えた必死の呼び声によってアヤセは落ち着きを取り戻した。見上げると麻生が耳まで真っ赤に染めて彼を見下ろしている。彼は急いで大人しい彼女を地面に下ろした。
「や、ごめん」アヤセはやや申し訳ないという調子で手を合わせた。
「いつもは落ち着いてるのに」麻生はネクタイを整える。第一ボタンまで丁寧にとめられたブラウスが彼女の性格を象徴しているようだ。
「もういいですか、ご夫婦」西村が冷静に茶々を入れる。他の生徒が好意的に笑い、麻生は再び赤くなった。アヤセは片手を上げて答えた。
「はい、結構迫力ありましたね。そんなに見られるものじゃありませんから、皆さんちゃんと記憶に焼きつけておいた方がいいですよ。まあ隣のとかもすぐ壊されるかもしれないけど」そう言って海側に残ったタワーを親指でさす。再び笑い声。
「じゃ、そろそろ授業を始めましょうかね」
罵声が笑いにとって代わる。
「私はそんなこと気にしませんよ」西村はうっすらと笑みを浮かべた。