ドロッパー

 一、パルティードアルト
 
 気の狂った振りを続けていたら本当に制御不能の気違いが生まれてしまって、正気の僕は壁一枚隔てられた角膜の奥に閉じ込められ、口から出る言葉はろれつの回らない叫び声に変わり、とうとう耐えきれなくなった家族に矯正院へと連れて行かれた。
 船橋法典の駅からタクシーで三十分、火葬場の裏にひっそりと佇む五階建て鉄筋コンクリートの壁は雨と煙が染み込んで、白と黒の絵の具で灰色を作ろうとして失敗したパレットの惨状を思わせた。迷路みたいな廊下を抜け、ガタついた鉄扉と人の形を忘れた話し声の中応接室へ通される。斜視の院長、首を傾げたまま動かない看護師、目玉が飛び出たフクロウの置き物。話は五分でまとまって独房が用意される。正気の僕がいくら訴えても言葉は不協和音となって四散し誰の信用も勝ち得ない。
 独房に放り込まれ鍵がかかると、覗き窓から母親が哀し気に僕を見る。違うそんなつもりじゃなかったんだこの糞っ垂れなフィルターを外しさえすれば全部元通りになるんだ。行くな。帰らないで。助けて。母さん!
 誰もいなくなった独房から何とか抜け出そうとして窓の鉄格子を力づくで外し身を乗り出したら、そこは院長の部屋だった。院長は僕に背を向けたまま首から上だけ不自然に歪めて「大丈夫」とつぶやいた。
 
 二、フェリイック
 
 駅の裏手と幹線道路に面したペンシルビルの二階にカウンターを全てロッキングチェアーで統一したショットバーがある。
 僕はあらぬ方向へ軋む板張りの通路を抜けて窓脇の明るい席に座り酒を頼む。ウォッカ、テキーラ、ラム、ブランデーはもう慣れた。ウイスキーが飲めないのはスノッブさに欠けているからだ。下賤な狂気は汚泥と変わりない。二時間で五杯のカクテルを飲み干した僕の元へバーテンダーがやってくる。レアチーズトルテと酒は合わない、コーヒーリキュールが安心感をくれる、ココナッツは多様性に難がある、若いバーテンダーは何でも知っている。マリブをウォッカで割ろう。順序が逆かもしれません。辛すぎるのでレバーを一押し、シロップを加える。
 アルコールによって一度融け、正常に再構成された身体の配列が僕を直立不動に固定する。バーテンダーは女主人と何か話し込んで、間もなく彼女を身体の前に送る。彼女は半分まで減ったコップの水を取り替え、僕の頭が向いているのと同じ、幹線道路を渡った先のショッピングモールを指差す。
「鎌倉パスタのお店ができるの。麺が生パスタで、饂飩みたいな食感だそうですよ」
 次の瞬間、カウンターの奥からアイスピックが飛んでくる。僕が身体ごと左に向き直ったら女主人のつむじから右目にかけて大穴が空き、冷たい槍は更に薄手の窓ガラスを突き抜けて『鎌倉』のネオンサインをショートさせていた。バーテンダーは息を荒げる。マリブとウォッカなんて無理だ!
 女主人は構わず鎌倉パスタの良さを、失った目の奥から訴えかけてくる。右目は左目の喪失に気付いていないようだ。僕の首は右九十度に曲がったまま頑として動かない。客の一人がテキーラのショットガンでロッキングチェアーごとひっくり返る。
 潮時と思ってテーブルに勘定を置き、窓を開け幹線道路に身を投げた。『鎌倉』のネオンは突き立てられたアイスピックに一分の隙も見せず、電気式殺虫機の音を立てながら夕暮れの薄群青に火花の彩りを添えている。
 
 三、イリザネイション
 
 視界が狭い。
 得体の知れない薬や濁ったスープに特段の効果はなく、僕は瞼の形に切り取られた視野で世界と対峙している。
 ミールワゴンの音に吐き気を感じるようになった所で我慢の限界と判断し、施設からの脱走を決意した。独房患者に課せられる毎日の散歩がチャンスだ。
 散歩のコースはいつも同じだった。火葬場の中庭を抜け、その先の巨大な墓地を一周する。駅までは十キロ近い道程だけど、付き添いを殺せば何とでもなる。船橋法典には駅と墓と焼き場と牢獄以外の建物が一つもない。
 墓場に立つ石は数十メートルの高さで、形はオベリスクに酷似している。風雨と死人の煙で斑模様になっている点は矯正院と変わらない。所々に見られる引っ掻いたような跡は、散歩者の仕業か。
 重たい雨の降る中を傘もささないまま散歩に出ると、たちまち患者服が肌に張り付く。付き添いの看護師も同じだが、黒ずんだ痣や傷跡が生地に浮かび上がって艶かしさは感じられない。
 火葬場を通ると必ず、焼け残った骨をハンマーで打つ音が聞える。時折それにショックを受けて泣き叫ぶ人もいる。
 間もなく墓地にたどり着き、看護師はやけに明るい声で墓石の説明を始める。このお墓には愛人が生きたまま一緒に埋められていて、隣の小さい石が奥さんのよ。その小さな墓石を蹴り壊してけたたましく笑う。そして主人と愛人の墓に寄りかかり、上目遣いで僕を見ながら小さく手招き。媚を売る表情は十代の子供にも四十路の未亡人にも見える。
 僕が目の前に立つと、彼女は枝垂柳のような腕を首に絡ませ引き寄せる。思いもよらない力強さ。僕は負けじと頭を掴んで三白眼に親指を突っ込みそのまま墓石に打ちつけた。
 すると、頭蓋骨の固さではなく柔らかなセメントの感覚が両手に伝わって来た。看護師の頭が僕の両手ごと石に沈み込んだのだ。僕は慌てて手を引き抜く。看護師は悲鳴を上げようとする。気を取り直して口を塞ぎ首元までねじり込む。そうして一分も押えていたらバタつく手足は動きを止め、力なく地面へ垂れ下がった。
 僕は看護師を捨て、坂道をふらふらと下った。雨が強まり、犬の遠吠えが聞えてくる。虚ろな響きに巨大な墓石が震え、ひびが入り、やがて一つずつゆっくりと崩れ始める。
 もしかしたら、火葬場は矯正院の患者を焼くためにあったのかもしれない。ならば墓地も患者のものか。墓の主人は看護師に復讐を果たしたのか。水煙と瞼の裏を眺めながら何となしにそう考え、朝飲んだスープを全部吐き出した。
 
 四、サンスレイブ
 
 地元の友人が突然北海道へ飛ばされることになったので、鎌倉パスタは諦め帰りの電車に乗り込んだ。帰宅ラッシュの車内は都内から日本全国へ左遷されるサラリーマンで埋め尽くされていた。どちらを向いても自分は運が悪いと思いつつそれをつっかえ棒にして何とか立ち続けているといった面持ち。彼らの身体から脂ぎった湯気が立ち上り、天井を貫いて工業風の雲となる。空にべったりと張り付いた薄雲は雨を降らせない代わりに陽の光を根こそぎ吸収してのける。
 電車は五分ほどで止まった。反対車線を走っている列車の車掌が自動脱線装置を作動させたらしい。復旧までに要する時間は三十分程度と女性車掌が明るく告げる。場所は区内で一番広い一級河川の真ん中辺りだという。頭に来た人間が装置を作動させるのはほぼ橋の上と決まっていて、時たま乗客が川に落ちる。それでも死傷者が出たという話は聞いたことがない。死にたいのか死ぬ振りをしたいのか不明瞭な辺り、微笑ましいとも言える。
 車内の人々が一段と姦しさを増す中、僕は音楽のボリュームを最大限まで上げて耳を麻痺させる。聞えなくなった世界で間断なく口を動かし続け、相槌と共に引きつった顔で肩を痙攣させるサラリーマンは楳図かずおの漫画に出てくるチキン・ジョージと少し似ている。
 都合四十分遅れで地元の駅に辿り着き、友人と合流して格安のファミリーレストランに入った。友人は転勤関係で上司を怒鳴り散らし過ぎたせいか声帯が焼けており、唖に近い状態だった。耳の聞えない僕と口を聞けない友人。僕達はまともな会話もせず、フォークを入れただけでぶつぶつ切れる大盛りのパスタもどきを泣きながらすすり込み、壊れかけのドリンクバーから落ちてくる工業廃水みたいなコーラを飲み続けた。
 
 五、ノーランドシックス
 
 駅に着く頃には雨も大方上がっていて、遠くを見れば雲の切れ間からうっすらと陽の光が差し込んでいた。鈍色の線が限りなく白に近い雲海を突き抜けてくる光景はあまり気持ちのいいものではなく、空が腐りかけているようにも見えた。月の赤い日は世界中で誰かを貶める会議が開かれていると聞く。では太陽が錆びている日中ならどうなのか。気の違っていない人々が耳や鼻から膿を垂れ流すのだろうか。
 僕は化膿していない矯正院の患者や勤務者を思い出し、急いで屋根の下へ逃げ込んだ。服は着の身着のまま、雨に打たれ続けたせいで乞食か脱獄犯にしか見えない有り様だった。
 看護師を埋めた際にポケットからすり取った小銭で地元までの切符を買う。券売機はICカードの普及でほとんど使われなくなっているらしく一つ一つの動作がやけに緩慢で、嫌味を言われている気分になる。液晶を殴りつけたら虫みたいに鳴き声を上げて、抱えきれないほどの貨幣を返して来た。一掴みポケットに放り込んで改札へ進む。すると、あちらこちらに年老いた人影が見えた。
 鏡の前やガラス戸の脇や光沢のある看板の下で、汚い格好の老人達は身動き一つせず目の前を凝視している。よくよく見れば全員の眼窩が奥深くまで抉れており、眼底の中心にだけわずかな光がある。
 不思議に思って駅員を呼んだら、彼もまた髑髏顔だった。何でも狂気に精神を押し込まれた人間は皆そのような顔になるという。だとすれば僕も異形と化しているのか。
「要は狂気を取り戻せばいいのです」と、駅員。「成功した例は聞いたことがありませんが」
 曰く、視界を持って行かれた人間は自分の姿を見てはならない。見た瞬間、欠落の衝撃で動けなくなる。
 成る程それで鏡やガラスを見てしまった彼らは停止中なのか。
 全てを取り戻すまで自分と向き合うな。何とかホームに上がって自分に言い聞かせる。次の電車まで十五分。待ちながら目をつむり、俯き、矯正院に光る物が存在しない理由を考えた。
 
 六、フィリーチェイスブラント
 
 煙の夢を毎日のように見る。
 僕は半ば引きずられる形で船橋法典の矯正院に連れて行かれ、奥まった部屋にあるアナクロな装置で半身を吸い出される。残された半分はいくつかの質問を受けたあと、院長が良しと判断すれば解放される。駄目なら火葬場へ。解放された人間は未だかつて一人もいないという。正気と狂気の塊を抜かれてさなぎの末路になると、しばらくろれつが回らない。そうしている内に質疑応答が終わってしまうのだ。
 例に漏れず院長への対応がままならなかったため、僕もまた隣の火葬場送りとなる。慣れた手つきの職員に麻酔を打たれ、檜の棺桶に入れられ、告別室で家族の哀し気な顔を見た。台車に乗って火葬炉へ送り込まれれば煙になるまで二時間とかからない。
 薄暗い陽炎の中、僕は生き残った半身のことを考える。視界の外周を持って行かれた彼はどんな叫びを上げているのか。死ぬまでに矯正院から出られるのか。
 思考の四散と前後して意識は一旦闇に落ち、再び戻った時にはもう空を飛んでいる。長い煙突から染み出した僕の意識は空へ上がって雲と混ざり合う。それは酒に酔って身体が溶ける感覚によく似た心地良さだが、一方で消え行く自己への不安も肥大する。狂気であろうと何であろうとやはり消えたくはない。
 雲と一体化した煙は雨と化して地上に降り注ぐ。鋭く尖ったビニール傘に貫かれ、アスファルトに叩き付けられ、運が悪ければ川から海へ流され再度空へ上らなければならない。
 僕はたまたま自室の空いた窓から吹き込み、散らばっていた服を通じて現世に舞い戻る。冥途へ追いやられた先で冥き途に辿り着く事にはどのような意味があるのだろう。同じ物事で読み方が異なるだけなのか。
 と、考えた所でいつも目を覚ます。ベッドの脇には電池が切れかけ十一時四十五分から動かない目覚まし時計。必死に上を目指す秒針は日ごとに力を弱めつつある。繰り返しの中で動力を失い最後には形だけの足掻きが残る。生きながら煙になるのとどちらが良いのか。
 考えていたら棘のような苛立ちが肺を蝕み始めたので、ハンガーにかかった服を全て焼き捨て近所のコムサストアへ向かった。
 
 七、ノートフルール
 
 半ば予想していた通り武蔵野線は満員だった。元々本数が少ない上、京葉線に乗り入れて東京方面へ向かう列車は一時間に二本しかない。休日ともなればディズニーリゾート、臨海公園、スタジオコースト、或いは新木場でりんかい線に乗り換えビッグサイトを目指す人々が大挙してなだれ込んでくる。おまけに彼らは船橋法典から乗る人間がどのような類のものかもよく理解しているから質が悪い。扉が開き、矯正院の制服を着た僕が足を引きずり俯きがちに車内へ入ると、ただでさえ少ない隙間を死にものぐるいで埋め、直径一メートルほどの空白を作る。僕は導かれるまま円の中心に立った。視線は足元、意識は内側へ。周囲から湧いてくる嫌悪感を受け流さないと息苦しくて立っていられない。
 発車と共に閉じ込められた険悪な空気が更に圧力を増す。僕は正気の怒りに全身を刺されながら身を小さく縮めようとする。狂気を身体から抜き去られ丸っきりの正気になったつもりが、正気の集団から弾き出され行き場をなくしている。気違いになろうとした僕が悪いのか?
 抉られた眼窩から涙を流すことも出来ず震えていると、肉の壁を縫って年の頃十三、四程の少女が現れた。黒い髪を尼削ぎにして簡素な着物を身にまとった大人しげな風体。水色の地に朝顔をあしらった着物が印象的だが、それ以上に注意を引くのが両目に巻かれた包帯だった。眼病を患っているのか先天的に盲なのか一見しただけでは分からない。ただ、目隠しをしている割にしっかりした足取りから相当な年期が感じられた。
 少女は僕の前に真っ直ぐ立ち、高く細く、しかし芯のある声で言った。
「自らの正気にまつろう者こそ狂人なのではないでしょうか」
 その言葉に対する返礼を持っていなかった僕は、考えあぐねた末に小さく首肯した。
 列車は間もなく乗り換え駅に辿り着く。少女は表情を変えないまま黙って僕の顔を、包帯の奥から見据えている。沈黙は優しく、出来れば終点まで向き合っていたいという願望が鳩尾の奥に生まれていた。でもここで降りなければ。
 逡巡を察知したのか、少女は手を揃え、僕に向かって軽くお辞儀をした。その仕草に手を引かれるようにしてホームへと降りる。停車を待ち構えていた乗客に突き飛ばされて階段際まで追いやられる。
 背伸びをして振り返った時、既に少女の姿は車内から消えていた。
 正気の盲信が狂気を生む。
 僕は一語一句を反芻し、コンコースへ向かいながら、彼女が僕と同じ目の持ち主であることを願った。
 
 八、ティムディガー
 
 コムサストアの壁と天井は淡いクリーム色で、床は光沢のないタイルに覆われていた。ガラス張りのシェルフには夏物の新作と春物の売れ残りが整然と並べられており、それらの間を行き交う店員達は確信に満ちた足取りで客が荒らしたポロシャツやカットソーの乱れを逐一直して行く。彼らの立ち振る舞いからはある種の洗練が感じられた。客の上位を保ちつつ、追い立ても威圧もしない。そこに至るまでの道程を想像すると軽い劣等感に苛まれる。
 今年はライトグレーの着こなしが要と聞いていたのだけど、実際店に並んでいる商品は一様に白と黒の両極へ分かれていた。黒シャツ、黒ジーンズ、襟は白で他は黒く染められたポロシャツ、黒の棒タイが付いたボタンダウン。中間色はどこにもない。まるでカジュアルな喪服の即売会だった。
 表が白、裏が黒のネクタイを手に取り店員の一人と話す。今夏は喪に服すのですか。
「皆さん、死が生と共にあると気付かれたようなのです」店員は頷きながら答える。「こちらとあちらの垣根が実は存在しないと知り、バランスを保つため、喪に服する振りをする。ほとぼりが冷めるまではモノトーンで決め撃ちという形になると見ています」
 つまり、皆して死の重みから逃げたがっているのだ。
 僕は先日亡くなった祖母を思い出す。心停止、復活、温かい手、なだらかな死、火葬場から立ち上る灰色の煙、身体のあちこちに残された重々しいボルト、戒名に付けられた穂の一文字。祖母が死んだ時、誰一人死から目を逸らさずにいた者はいなかった。黒スーツと白のワイシャツで彼女を忌んでいた。
 グレーがいい。白黒は間違っている。そんな事を口走ると、店員は同意の笑みを浮かべた。
「ご希望は必ずお伝えします」
 売れ残ったのか、一番奥にうずたかく積まれていた灰色のカットソーを買って店を出る。雲は厚く、風に運ばれる霧雨が視界から輪郭を奪って行く。
 半身との再会が近い。彼の願望から生まれた僕は、その瞬間に消えるのかも知れない。もし彼が狂気を受け入れるのならば、白と黒は混ざり合って新たな色が生まれるだろう。どちらにしても、二つの色は一つになる。
 僕が消えるのは構わない。けれど、そうなるとしても、祖母と同じように一文字でいいから証を残したい。灰の名をどこかに刻みたい。たとえ僕が灰ではないとしても。
 濡れそぼったカットソーを握りしめ、顔を上げることも出来ないまま心の中で願いを唱え続けた。
 
 九、ナイフシュクリ
 
 総武線の列車がホームに入線してきた時から感じていた不安は、両開きの自動ドアが開くと同時に確信へ変わった。堰を切ったように吹き出してくる臭いのない熱風、続いて憔悴し切った表情の乗客。スーツやセーター、更にはコートまで身体に貼り付かせながら降りてくる人々は、髪を乱し、両手両足を力なく垂らし、思い通りに動かない身体を無理矢理引きずって追っ手から逃げる悪夢の主人公を想起させた。
 僕は一旦躊躇し、それから乾きかけた制服の上を脱ぐべきか迷いつつ車内へ足を踏み入れた。
 発車ベルの終了に合わせ、自動ドアが排気音を立てて閉まる。同時に暖房が最大出力で動き始める。その音と前後して、一車両に数人ずつ残っている我慢強い乗客達がうめき声を上げた。気温は体感したことがないほど高く、摂氏五十度を下回っていないのは明らかだった。窓ガラスの結露が著しいせいで外の景色が全く見えない。身体からたちまち汗が吹き出して白一色の制服を肌に吸い寄せる。額から、脇から、背中から、燃え上がりそうな身体を常温に戻すべく粘度の低い滴が流れ、気持ちが悪くなる。肌が触れる距離に他の乗客がいないのは僥倖と言えた。汗を接着剤にして身体と一体化した制服が透明度を高め、死装束然とした雰囲気を多少なり打ち消してくれたのもありがたい。
 座席は空いていたものの、座ったところで不快感が増すだけなのでドア付近に立ち止まる。自分の姿が目に入らないよう気をつけて辺りを見回すと、立っている人間は僕以外いなかった。皆床なり座席に寝転がって体力の消耗を防いでいる。一人残らずスーツを着ていたのは当然と言えば当然かも知れない。仕事でもなければ灼熱地獄を使って移動などしたくはない。酷な体験をしてまで休日に働く姿は哀れみよりも感心を誘う。
 地元駅に着くまでに一人が逃げ出し二人が口から泡を吹いた。おそらく失禁した人間もいた。JRの職員が助けにくることはなく、代わりなのかどうか、注意を促す車内放送が一駅ごとに流された。
「熱中症にご注意下さい。車内の殺菌を行っております」
 文句を付ける乗客はいなかった。
 間もなく総武線は目的地に到着する。西船橋で多くの人がそうしたように、僕も力無いすり足でホームに降り、熱風に煽られるまま前のめりに倒れ込んだ。
 体調は最悪だったが、殺菌を済ませ半身との再会準備が出来たことは嬉しかった。チェックポイントは全て通り終えた。あとは一つに戻るのみ。
 熱気に歪む車内で少女の言葉を反芻し、終わりの方法は決めていた。僕は正気に対する執着を諦める。その結果、狂気である半身に飲み込まれても構わない。それが正しいことならば僕は彼の中で生き続けられるだろう。もしくは僕も彼も消えて新たな自我が生まれるのかも知れない。
 どちらにせよ僕は僕自身にこだわらない。僕は僕でなくてもいい。それ以外の道はない。
 冬の冷気を残したアスファルトコンクリートから頬を離し、ホーム中央の自走式エレベータに寄りかかる。制服からは止めどなく湯気が立ち上っている。身体の一部が空に散って行くのを眺めながら、僕は半身の到来を待った。
 
 十、ザ・ドロッパー
 
 サラリーマンに押しやられてプラットホーム端に降り立つと、辺りはさながら色のない湖底だった。霧雨が風に舞い、デッキプレートをかいくぐって乗客の頭上に到達する。微生物のような水滴は視界の九割を埋め尽くして混じり気のないノイズを構成する。人々の動きに合わせてまとわり付いて来るそれらは粘性が一欠片もなく、温かな粉雪のようにも感じられる。
 九十度ねじ曲がった首を載せたまま人いきれの間を縫うのは難しい。僕はサラリーマンや学生、親子連れやフリーターが階段の下へ去って行くのを待つ。その内に上り列車が反対ホームへ滑り込む。連結された十両の箱から人が吐き出される。夕方の駅は早送りに近い速度で荷物の積み替えを続けている。
 頃合いを見てホーム中央の自走式エレベータへと歩き出す。線路に転落しないよう気を配り、所々に転がっている汗みどろのサラリーマンを避けながら一歩一歩を慎重に踏んで行く。上り側はいくつもの障害が横たわり、下り側はいつ満員の列車が来るか分からない。島型のホームはそこここに危険を孕んでいる。
 日曜祝日は上りの列車だけ暖房を全開にしていると聞いたことがある。だとすれば半身もまた、熱気に当てられているかもしれない。
 階段の脇を通ってコーヒースタンドを横目に見ながらエレベータを目指す。少し心臓が高鳴っている。ここで逃げ出せば半身は力尽きて死ぬだろうか。そうすれば僕は生き残れるのではないか。それとも彼の死と共に僕も消滅するのか。及び腰の考えが何度も現れては霧雨に吹き消される。
 果たして半身は予想通りの場所にいた。エレベータの外壁に背中をもたせかけ、夥しい量の汗をかきながら僕を待っていた。息は浅く、小さく開けた口からは小刻みに蒸気が吐き出されている。足元に泥の付着した矯正院の制服が、ひどくみすぼらしく見えた。
 僕は片手にカットソーを持ったまま半身の前に立った。そして首から上は真横を向いたまま、横目でその姿を窺う。制服を肌にまとわりつかせて今にも倒れ込みそうな身体に、中身を抜き取られた眼窩とその奥にある小さな光。そこを除けば僕と変わりない外見。僕を生んだ正気。
 何も言わずカットソーを差し出すと、半身は物静かな手つきで受け取り、ゆっくりとした動作で着替えを済ませた。湿り気を帯びてはいるものの制服よりはましなようで、袖を通した後の一息には微かな安堵が込められていた。
 それからおもむろに立ち上がった半身に向かって言葉をかけようとしたが、上手く舌が回らない。声は単語にならないまま嗚咽となってこぼれ落ち、眼の奥から涙がわき出して来る。
「灰色」
 彼は一言つぶやいて僕の両頬に手を掛け、勢いをつけて真正面へと捩る。石臼を回したような音が鳴って、頸椎が破壊される。僕の頭は一瞬だけ彼の姿を見据えたかと思うと、力なく足元へ垂れ下がった。
 僕達は灰色になる。
 互いの意思が重なっていることを知り、僕は迷いなく両手を瞼に押し入れた。涙にまみれた両眼は抵抗なくえぐり出され、半身が差し出した手の上に落下した。次いで神経と血管が吸い出されるように後を追い、脳が更に続く。今や二つの水晶球となった両眼は僕の全てを包含して行く。脊髄から骨盤へ、内蔵から口腔へ、骨から筋肉へ。眼球を芯に裏返り、半身の手に収まろうとする。
 最後に皮膚が取り込まれ、身体の表裏が真逆になった。残されたのは当てのない視線。
 半身の両手が僕を包んで一旦天へ掲げ、躊躇なく空の眼窩へ差し入れた。
 裏返され折り畳まれた僕が半身との接触を通じて再び開かれる。最初に見えた小さな光の奥へと遅滞なく流れ込んで行く。神経と神経が絡まり合い、筋肉が弾け、骨が形を失う。白に染まっていた僕は黒い半身と融合して灰色に染め上がる。
 白と黒の粒子が完全な分散を遂げた次の瞬間、僕達は四散した。
 
 十一、ローリング
 
 世界の両側から滝が流れ落ちていた。
 滝壺はどこまでも深く、底があるのかどうかすら分からない。水源もまた無限の果てにあるらしい。どこかで雨が降れば片側の水量が増して世界は非対称になる。岸壁が水勢に削られることで軸がずれる時期もある。最終的に全体がバランスすると決まっている訳でもない。二つの力は何事にも構わず、海へ繋がる川のごとくただ流れ続ける。正気と狂気、生と死、秩序と混沌、肉と骨、眼球と闇、あらゆる対比。相容れない二者を抱え込んで着地点のない落下に身をやつす。
 離ればなれになっていた僕達は駅のホームで再会し、それぞれの意思をもって一つに戻ろうとした。すると滝の岸壁は一斉にせり出して、あるべき隙間を完膚なきまでに埋め尽くした。行く当てのなくなった水流は正面からぶつかり合って渦を巻き、空に向かって跳ね上がり、世界から呼吸を奪った。
 僕はまだ意識を保ったまま、細かな粒子と化して散って行く自分を感じている。その中には彼の気配もある。しかし、緩やかに混ざり合い均等に拡散して行く過程は、融合を意味していないように思えた。僕が僕でなくなることも、僕であったことの証明も、僕達を一つの存在へ還元してはくれない。
 そもそも二つの存在に分かれた時からこうなる事は決まっていたのかもしれない。たとえ半身であろうとも時間は止まらないし、だとすれば両者は常に変化し続ける。一旦大地が割れて滝が生まれたなら、それを元に戻すのは不可能と言っていい。互いが交わる方法は、岸壁から放たれた水の飛沫が触れ合う瞬間に視線を合わせる、その程度のものでしかないのだ。
「大丈夫」
 矯正院の院長はそう言っていた。僕は存在を薄めながらその意味を考える。一つの海だった世界に亀裂が入り新たな均衡を生む。亀裂が閉じれば水平線は再び一本の線となる。だが、水面は相容れない二種類の粒子に置き換わっている。そして、どれだけ雨が降ろうとも不協和音は消滅しない。それでも大丈夫とはどういう事なのか。
 あるいは、僕達が調和するには新たな条件が必要なのかもしれない。何故なら、不協和音を意識した時点で僕が僕であることを、彼が現在を越えて存在することを渇望しているからだ。目的地は同じでも、辿り着くための準備が整っていない。二つに分かれ、それぞれが半身を自覚しながら、もしくはその自覚によって確固たる粒子に上り詰めた今の状態は、一つになるには大き過ぎる。
 僕が僕でなくても良いこと。僕が僕だった証を望むこと。これらを一身に引き受けることは不可能ではない。ただ、そのためには存在のあり方を変えなければならない。存在するとは別の方法を選ばなければならない。
 僕達は同時に気付いて千切れかけた手を繋ぐ。僕は証を望み、彼は彼への執着を捨てる。そうすることで、存在は消滅し、煙が現れる。
 煙は何かが存在したことを示す灰色の記憶だ。存在が焼かれることで煙が立ち上り、人は確かに何かがあったことを知る。
 だから僕達は煙になる。矯正院に、京葉線に、ショットバーに、総武線に、ファミリーレストランに、既に存在しない者として、微かなノイズを投げかける煙に。そして互いを飲み込み合いながら、海が凪ぎ、世界が取り戻される時を待ち続けるのだ。


後書き
 初めて書いた二部構成の話です。気持ち悪くなった方、ごめんなさい。拙いながら、自意識のあり方について考えつつ書きました。結局答えは出ませんでした。タイトル、サブタイトルはMedeski,Martin&Woodのアルバム"The Dropper"の曲名をもじったりそのまま使ったりしています。


最後まで読んでくれてありがとう