神が『約束の場所』を空に拵えたと宣言してからもう三十年になる。
 その間に人類は背中に括り付けるタイプの小型ロケットを発明し、みんなして空へと舞い上がった。ロケットが普及した頃といったらそれはひどい有り様で、昼夜を問わず人の迷惑かえりみず誰もが『約束の場所』を探して飛び回っていたという。当然のように事故や諍いが多発し、それを憂えた政府はロケットの使用時間を夜の九時から十一時までに制限する法律を施行した。すると、事故の数は減ったものの人々は指定された二時間を使い切らねばとやっきになった。
 今では八時半になるとそこかしこの家々からロケットを背負った人々が現れ、九時の鐘がなるや我先にと飛び上がり、十一時までの間、夜空はラッシュアワーの様相を呈している。

 僕達は町を見下ろす丘の中腹に寝転んで、ロケットがひっきりなしに飛び交う夜空を見上げている。今日も昼間から雲一つない晴天。群青色の夜空は、ロケットの炎を間引きさえすれば、星々の煌めきに彩られてなかなか壮観だ。
「ねえ、睦月。あそこの明るい星、見える?」如月が中天を指差して言う。
 僕は黙って頷く。無数の炎が邪魔をして、空は少し見え辛い。
「あれとその真下と隣の二つを合わせると横向きの台形ができるでしょう」
「うん」
「それでね、反対側の二つも合わせると台形が頭くっつけたような形になるの。青い蝶っていう星座よ」
「それ、誰が考えたの」
「私」如月は得意げに微笑んだ。
「よくやるなあ。大体青って」
「あの形を見つけた時ね、まだ日が暮れたくらいの時間で、空が暗くなりきってなかった。それで青く見えたから青い蝶って名付けたのよ」
「そっか」
 少し感心した。如月の目には青い蝶が見えるんだ。
「如月はちょっとすごいね」
「ありがとう。まだ休んで行く?」
「うん、十一時まで寝てから飛ぶ」
 しばしの沈黙。世界はエンジン音で騒々しいけど、ここだけは静謐な空気になる。如月は沈黙を許してくれる唯一の女の子で、僕はいつも彼女に甘えている。
 無意識に視線を動かすと、そこかしこでロケット同士がかち合っている。多分お互いが相手の邪魔をして、喧嘩にでも発展しているんだろう。心底馬鹿らしいと思う。今や空は空よりも人の占める割合の方が大きいくらいだ。誰もが『約束の場所』を探して燃料と時間の無駄使いを繰り返す。そんな生き方って楽しいんだろうか。少なくとも僕の頭では理解できない。
 僕は如月の方を向く。
「如月」
「はい」如月は丁寧に僕の目を見つめ返してくる。
「僕はさ、神とか約束の場所とか、そういうのってどうでもいいんだ」
 ただ好きなように空を飛びたいだけ。
 最後の部分は口に出さないでおいた。あんまり言い過ぎて神に目をつけられても嫌だから。
「分かってる。もう寝ていいよ。みんながいなくなったら起こしてあげる」
 僕が頷いて目を閉じると、如月はいつものように口笛を吹き始める。口笛のメロディは心地良いうねりとなって僕の耳を包み、ロケットの喧騒を別世界へ追いやってゆく。


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