金属の日

 ナツメは人もまばらなコンコースを抜けて足取り軽くプラットホームへ向かっている。あちらから歩いて来る人々の間に不規則な道を見つけ、それを描き出すようにくすんだタイルを弾いてゆく。
 一足飛びに大階段を駆け上がると、待ちかねたように視界が開放される。広角レンズにも収まり切らない広さを誇るプラットホーム。二十を超える線路は毎分毎秒のようにいかつい列車が発着している。各ホームには柱に丸い金属板を付けただけの標識が立っていて、他にはベンチと駅員以外何も無い。この錆び付いた標識が、またナツメの気持ちを浮き立たせる。
 ナツメは頭上に視線を移す。優に五階分の高さはあろうかというここの天井はナツメの一番のお気に入りである。鉄骨で組まれた格子模様の上に、デッキプレートだろうか、細かく蛇行した天板が覆いかぶさっている。それらは巨大な駅の両端に向かって緩やかな弧を描き、最後には地面に吸収される。この天井はまた壁でもあるのだ。
 その天井兼内壁は所々がくり抜かれてアクリルだかガラス板がはめ込まれており、秋色の涼しげな空が上からこちらを覗き込んでいる。ナツメは天窓を透かして空を見ながら案内放送に耳を傾けた。点検工事は終了いたしました。全線問題なく運行しております。全列車ともダイヤの通り運行いたしております。
 窓の奥を飛行船が通り過ぎる。何だか出来過ぎな光景だわ。ナツメは心の中でつぶやいた。
 何の前触れも無く飛行船が止まった。ぴたりという音が聞こえてきそうなほどはっきりと。ナツメは何事かと一瞬動揺した後、空気の流れが止まっているのに気付いた。急いで視線をホームに戻すと人の姿が全て消えていた。人だけではない。生き物が全部消えたのだろうとナツメは本能的に察知した。動いているのは自分だけだ。
 ナツメが事態を冷静に受け入れたのと前後して、景色から色がなくなり始める。信号の色ガラスが、売店の雑誌が、オレンジジュースが,なめらかにその鮮やかさを失ってゆく。何もかもが灰色へと還元され、次いでその表面が金属的な光沢を帯びて行った。ナツメは自分の手を見た。服共々色は失われていない。だが、その先の地面は確実に変化している。メタリックだね。彼女は脳天気に一言つぶやいた。
 完全なメタリックになった構造物は、一つずつ役目を終えたように地面へと吸い込まれて行った。淀みない速度で次々と、まるで沈み込むように。ナツメお気に入りの標識も、抵抗無くメタリックの地平に飲み込まれた。最後にドーム型天井の真ん中が裂け、プレートも鉄骨もそこから消えてなくなった。ものの数十秒で全てが一枚の床へと落とし込まれた。
 ナツメの上方に唯一飛行船が残っていた。ナツメがどうなるのかと期待して眺めていると、これも同じように色を失い始める。何だよー。ナツメは不満げに口をとがらせる。すると飛行船は徐々に小さくなり、輪郭を変え始めた。プロペラや乗務員室は胴体に吸収され、卵形の胴体は段々と球体に近付いてゆく。そして、最後には光沢を放つリンゴが残された。
 ナツメが最早どうでも良いといった様子で適当に観察していると、リンゴはゆっくりと彼女に近付いて来た。落ちるというよりは近付くといった表現の方がしっくりと来る動きだった。まるで重力を無視したその動きはごう慢であり、また人智を超えたものを感じさせる。ナツメは口を半分開けたままどうしたものかという表情でそれを見つめる。リンゴはナツメの胸の高さまで降りて来て、そこで動きを止めた。
 ナツメはそれを初めは疑わしげな目つきで眺めていたが、次第に不愉快さをあらわにしていった。何やら視線をそらすことをためらわせるような雰囲気をそれはかもし出していて、そこがまず彼女を嫌な気分にさせた。また、出来過ぎたような段取り、リンゴという形状も気に食わない。そして何よりナツメの手に取られるのが決定事項であるような感覚が彼女にはたまらなかった。ナツメはリンゴを指差すと、声に出して言った。
「どうしても取んなきゃ駄目なの?」
 リンゴは何も答えない。ナツメはふんと鼻を鳴らすと左手の甲でそれを払い飛ばした。見捨てられたそれは突然力をなくしたように床へと放り出され、メタリックな響きを立てていくつかに割れた。
 ナツメは勝ち誇った顔をしてその最後を見届けると、さっそうと身を翻した。すると、数メートル先に高校生くらいと思われるショートカットの少女と銀色のミカンがあった。少女はパーカーのポケットに手を突っ込んでミカンを眺めていたが、ナツメに気付くとにっこり笑って手を振って来た。自分だけじゃなかったのかと思いながら、ナツメも手を振り返す。ミカンは彼女の胸元で静止している。
 少女は反対の手もポケットから出すと、ミカンに向かって蹴りをくり出した。恐ろしく切れの良いハイキックだ。果たして彼女の右足はミカンを打ち抜き、これまた数メートル先まで吹き飛ばした。
 ナツメは改札を抜けるような軽い駆け足で彼女の元へ行き、しっかりと目を合わせた。わずかな沈黙の後、少女は満面の笑みを浮かべる。ナツメもにっこり笑い返す。二人は右手を上げ勢い良く打ち合わせた。その音を合図に空気が動き出し、ナツメの好きな駅が戻って来た。

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