一、嘔

   

 サディは大体いつも吐き気に悩まされていた。原因は内臓疾患。いくつか併発しているが、特に胃がひどい。生まれつき胃液の分泌が異常なため、起き抜けも、昼間も、就寝前も、悪い時には食事をしながら吐きそうになる。吐き気を抑えようとすれば目眩と耳鳴りと悪寒に五感を支配され、そこまで我慢しても結局は耐えきれずに吐いてしまう。
 彼は衛士団の中でも飛び抜けた腕を誇っていた。その細い身体からは想像できない力で身の丈ほどもある槍斧を軽々と振り回し、刃一閃すれば化生の三匹や五匹まとめて輪切りにしてのける。戦闘の力量だけならば衛士団長に選ばれても何らおかしくないと言われるほどだった。衛士団内での定期戦でもほぼ負けることはなく、好調時の彼には挑む者すらいなくなる。
 しかし、内臓疾患による吐き気というただ一点によって彼は何年経っても下っ端のままであり、またからかいの対象を超える存在になることができなかった。
 新入りが最初に上から教えられるのは健康に気を遣うこと、そして吐き気を止められない男は反面教師にするようにとの差別的指令である。新入りは大抵それを忠実に守って彼を影から笑い、わざとへりくだった挨拶をし、食事時になるとわざとらしく吐く真似をする。
「サディさん、今日の気分はどうですか」
 もちろんサディも吐き気を止める努力をしていなかったわけではない。彼は休日ごとに町の調剤薬局を訪ねては様々な薬を試していた。一軒目で駄目なら隣ブロックの店へ、それでも治らなければ路地裏の怪しげな薬売りの元へ。ふらつく身体に鞭を入れて、対抗手段を模索し続けてきた。その結果、町中で薬を扱う者はおろか旅商人ですら彼の存在を知るようになった。彼らはみなサディの真摯な姿勢と青ざめた顔に打たれて出来うる限りの処方を試みた。サディ自身も薬学を学び、自らを実験台に薬草を調合するなど涙ぐましいほどの力を内臓へと注いだ。
 それだけの努力を持ってしても彼の吐き気は収まる所を知らなかった。むしろ病状そのものは年々歳々悪化して行くようだった。
 薬が何一つ功を奏しなかったわけでもない。ある調合の煎じ薬は症状の劇的な改善に成功した。それを手にした次の定期戦、サディは自慢の槍斧で五人の猛者を瞬く間に打ち倒す絶好調ぶりを見せた。だがそれは文字通り劇薬であり、一時的に吐き気を治すものの副作用として別の内臓に甚大な打撃を与えるものだった。彼は煎じ薬を飲んで半時間すると超人的な力を発揮する。そして、それから半日が過ぎると元より悪い身体を手に入れることになるのだった。
 団員達はその姿を見て以前より一層大きな嘲笑を彼に浴びせるようになった。それは服用後の姿から恐怖を感じた反動と言えるかもしれない。サディは本調子になればいつでも自分を殺すことができる。吐き気がなくなれば自分より上に立たれてしまう。そのような被害妄想的思考がことごとく弾劾の圧力へと形を変えたということは、有り得ない話ではない。
 そこまで過酷な扱いを受けてもサディは決して衛士団を抜けようとしなかった。童顔で人当たりが良く、強さの上に病の影も背負っている男である。世話を買って出る女性はそれこそ山のようにいた。衛士団の中でサディの女性人気は群を抜いており、彼の郵便受けにはひっきりなしにいたわりや淡い想いを書き連ねた手紙が届けられた。
 にも関わらず彼は女性の庇護の下に生きることを良しとしなかった。どれだけ甘い言葉をかけられようと黙して衛士団の仕事に携わったのである。
 激しい運動をすれば必ずその日の食事は吐いてしまうし、その度に近くにいた衛士から罵声が飛んでくる。おそらくはそれがストレスになって病を悪化させている部分もあっただろう。何故サディが決して衛士団を離れようとしなかったのか、その理由は未だ持って誰も知らない。
 衛士団の人間全てが彼を見下していた訳ではない。中にはその力や人格に惹かれて対等ないし下から付き合う者もいた。だが、そうした人間は必ず大半の衛士からサディと同一線上の存在として扱われるようになった。サディと脆弱な仲間達。
 彼らはそのうち耐えきれなくなって尋ねるのだった。
「サディさん、何でこんな所にいるんですか」
「町が好きだから」
「頭もいいんだし、もっと身体に合った仕事を探してもいいじゃないですか」
「僕にはこれを振り回すくらいの才能しかないよ」
「だったらそれで上の連中を黙らせてやりましょうよ」
「そんなことしたって何も変わらないと思うんだ」
 一事が万事この調子だったので、時間が経つに連れ彼らは一人また一人とサディの元を去って行った。
 そんなわけで、彼は大体いつも一人で吐き気と戦っていた。


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