犬の店

 最後の客が会計を済ませたので早速片付けに取りかかった。時刻は朝だか夜中の五時十五分。残飯をまとめて皿を重ね、脂っこい染みがばらまかれたテーブルを一つ一つ拭いてゆく。するとこの一晩でたまった疲れが一つ一つ実体化し始め、けだるさと心地良さが一体になった感覚が背中に広がった。今日も一日おつかれさま。
 片付けが一段落したのでブラインドを上げてみる。初夏の太陽が、待ち構えていたように夜明けの知らせを運んできた。
 今月分の給料が入る頃には夏休みだ。バイトも試験もさっさと片付けて、今年の夏は何をしよう。そんな事を考えていたら視界の端に大きな看板が飛び込んできて、遊び気分を台無しにしてくれた。
「あの名前はないよね」モップがけ中の同僚に言う。
 彼はだるそうに顔を上げ、汗をぬぐいながら答える。
「お前がつけたんじゃん」
「違うっ。聞かれたから答えただけで、まさか店の名前になるとは思わなかったんだよ」
 看板の持ち主は店の常連で、注文を取りに行くと二言三言世間話をする程度の仲だった。その彼が何気ない感じで聞いて来たから思いついた言葉を口にしたわけで、そこからこんな事態に発展するなんて思いもしなかった。
「まあしょうがねえって。あれはあれでいいんじゃねえ? 強そうだし」同僚はそれだけ言って仕事に戻る。
 僕は再び看板を見た。そりゃ犬の種類は種類だし、強そうではある。だけれども。
「サラ金『ドーベルマン』はないよなあ」
 首を振り、力なくブラインドを元に戻す。
「今度そこで店始めるんだよ」
 彼の嬉しそうな台詞が頭の中にこだました。



後書き
『作家でごはん!鍛錬場』を利用した三語即興文という企画に投稿したショートショート。ショートショートっぽいものを目指しました。気恥ずかしい。


最後まで読んでくれてありがとう