スイラム

 学校の裏手には公園がある。遊具はロッキング式の馬だけで、遊びに来る子供は殆どいない。かと言って生徒のたまり場になることもなく、平日の夕方は常に遊休地の様相を呈している。
 僕はアルミニウムのベンチに腰を下ろし、2月14日の冷気から逃げるように猫のことを考える。僕らはいつから一緒にいるんだったか。
 身を縮めて待っていると、間もなく制服にマフラ一枚の猫がやって来る。左手にはクラフトの小さな紙袋。寒さに耐える素振りもない、悠然とした足取りが頼もしい。
 猫は角の取れた仕草で僕の脇に座り、僕の手に紙袋を握らせ、それから空いた手をたぐり寄せて傷の具合を見る。
「いぬ……」間違った呼びかけをしそうになり慌てて口を閉じた。彼女は乾という姓で呼ばれることを極端に嫌うのだ。
 一瞬僕を睨んだ後、猫は再び手の検分に戻る。すぐ開きそうな傷とまっさらな部分を見定めているようで、時折指を滑らせては楽しげに目を細めている。
「猫」
 改めて名前を呼ぶ。猫は軽く頷いて僕の手に爪を走らせる。研ぎ澄まされた人差し指は刃物に近い切れ味で、引っ掛かるもののない氷のような痛みと共に、赤い線が浮き上がる。血は流れ落ちない絶妙の量で止まり、鼓動に合わせて微かに震える。猫はいつものように、長い髪をかき上げて僕の血に舌を浸けた。
 余った手で開けた紙袋にはチョコレートが入っていた。包装を解いて一つ頂くと、意外なほど甘い。
 新たな痛みが走り、僕は猫を見下ろす。傷が一つ増えている。チョコが血の気の足しになったか訊いてくるので、曖昧に頷いた。それが迷信なのは多分彼女も知っている。
 夕陽が住宅街の稜線に差し掛かるのを眺めつつ、アーモンド入りのをもう一つ。左手を包む猫の指が温かい。
 猫は夢見るような表情で僕の血を舐め続ける。僕はチョコを飲み込み、艶やかな髪をすきながら、彼女が満足するのを待っている。


後書き
 テキスポさんの「第二回800字バトル」に投稿して見事選外になった作品。皆さんラブだのちょっと良い話に終始していたので、フェティシズムを出してみたらやっぱり受け入れられませんでした。まあこれもラブと言えばラブだ。こういうのって、本当は二千字くらいかけてしっとりと書いてみたい。八百字で表現すべき内容ではなかったのかもしれません。あと、活字慣れしていない人に受けることをやらなければならない時もあると再確認しました。ど真ん中直球は大事ですね。タイトルは「漿液」という意味の英単語"serum"(シラム)をいじったものです。


最後まで読んでくれてありがとう