アーティファクト

「銀色虫の声が聞こえてくるともう夏も終わり」と言うようになったのは、ここ何十年かのことだという。昔は銀色虫のところに「つくつく法師」とか「ひぐらし」が入っていたらしい。じいちゃんが言っていたから、多分間違いない。
 銀色虫の鳴き声は、声と呼ばれてはいるけれど、正確には人間の可聴域に入る人工的な音の波だ。何故かというと、銀色虫もまた虫ではなくて小型の機械だから。
 温暖化が極限まで進んでから百年以上経って、地上に住んでいた人達の大半は軌道チューブへの移住を完了した。今まだ残っているのはほとんどが寒冷地の住人で、僕みたいに中緯度の地方は、古い人に言わせると一年中暑くなったから、みんな耐えきれなくなったのだ。
 しかし、オゾン層が薄まって紫外線が強くなり、病気や変異や耐性の強い害虫が増えて、「とても人間の住める場所ではない」と科学者に頭を抱えさせた地球の、しかも大して北でもない島国に僕とじいちゃん、ばあちゃん、その他大勢は平然と住んでいる。科学者はきっと「自分みたいに繊細な人間の住める場所」を探していたんだと僕は思う。だって、暑くなったおかげで西瓜はたくさん穫れるし厚着もしないで済むし、何より自分がその環境にどんどん慣れて行く感覚は心地いい。僕は三世代前の地元民よりずっと浅黒くなったけど、足の裏の皮も厚くなって、砂利道を裸足で歩いても気にならない。
 顔を上げると、軌道チューブが何十何百と空を走っている。そこにいる人達の肌はみんな白いのかと、時々想像する。ただ、優性遺伝の考え方では最終的に全員が黒人になってしまうと先生が言っていたから、案外僕達と変わらない肌の色をしているのかもしれない。
 そんな軌道人が、地球を捨てる負い目を少しでも軽くするために置いて行ったのが銀色虫。晩夏から初秋にかけて、作物収穫時期に多くなる害虫を、発する音波で遠ざけてくれるのだとか。実際効いているのかどうかは別として、義理を勝手に果たされ放り出された地上人は結構怒っている。特にじいちゃん。毎年あのキーンという鳴き声がする度に耳を塞いで頭が痛い頭が痛いと呻いている。
 じいちゃんは、銀色虫の声がすると押し入れから浴衣を二着出してくる。夏祭りに着て行けって。僕の分とカスリの分。朝顔の模様は中学も半ばを過ぎた僕達には少し幼すぎるような気もするけど、ひいじいちゃんの世代から受け継がれて来た一品ということもあって、文句は立てないことにしている。カスリも喜ぶし。
 カスリは生まれた時から顔の一部が白くかすれていたのでそう名付けられた。漢字で書けば飛白になるところ、誰も読めないからカタカナにしたと、おばさんから聞かされた。
 紫外線の影響からか生徒の十人に一人は顔や旨や二の腕がかすれている。だからいじめや蔑視はないし、むしろ模様の綺麗さを競うことがあるくらい。茶一色の僕からすると、かすれた友達はちょっと不思議でうらやましい。
 慣れた手つきで着付けを済ませたカスリを、僕は半ば呆然と眺めている。綺麗な模様の顔と古めかしい浴衣が妙に色っぽくて困る。
「早く着ちゃいなよ。手伝ってあげるから」
 手伝われるのは恥ずかしい。でも、僕はまだ一人で帯を結べないのだ。
 それから二人で手をつないで玉砂利の庭に出ると、足下から西日の熱さが伝わって来て気持ちいい。本当なら雪駄という履き物がセットらしいけど、このくらいのアレンジは許されていいんじゃないかな。
 二年前にばあちゃんが亡くなり、この辺りで浴衣の着付けを知る人は僕達以外いなくなった。やがて僕とカスリが浴衣を着るのをやめた時、二枚のサラサラした布は古代人の遺産へ変わるのだろうか。それとも、僕達が誰かに受け継がせて行くのか。
 もちろん、そんなのはずっと先のことだし、今はりんご飴を食べることの方が大切だと分かっている僕は、既に着崩れかかった夏の風物詩を身にまとい、カスリと二人、農道を歩いて行く。


後書き
 テキスポさんの「クイックライトバトル」に投稿した作品。お題が出されてから一時間で書きます。『プラネットサマーイズブルー』の断章みたいにしてみました。『プラネット〜』もいずれサイトにまとめます。


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