フラウア

「伝説の勇者よ、さあ目を覚ますのだ」の一言で片が付くのはよく分かっている。と思う。でも、言わない。
 まず勇者が在りと古い本に書いてあった。それから悪の魔王と気の狂った神と人間を統帥する将軍が生まれたと。
 勇者は大方の望み通り、魔王を退治して神を消して人間を皆殺しにして、それから何処へともなく去って行った。そして、世界に何かが生まれる度に戻って来ては、新芽を摘むように手の一振りで彼らを消し飛ばす。その繰り返しは百回あったとも五万回に上ったとも言われていて、そう噂を立てていた連中もみんな死んだから、今となっては確かめる術もないのだけど、とにかくひたすら活躍したことは間違いない。
 しかし、そんな勇者も一応寿命はあるみたいで、最後の学者が残した論文によれば、あと七十億年くらいで死ぬらしい。これは勇者に関する一番確かな情報だと僕は考えている。目の前でだらしなく手足を放り出した勇者が突然眠りについた時期と勇者歴の年数を面倒くさい計算ですり合わせれば大体数字が合うし、ずっと昔にも一度同じ現象が起こったから。
 前に魔法の言葉で勇者を目覚めさせた時、世界はおおむね平和だった。魔王は引きこもりで神は雲の上から降りて来ず、人は自給自足で満足していた。それで大丈夫だと思い込んだ誰かが余計な一言を言ってしまって、元の木阿弥。
「伝説の勇者よ、さあ目を覚ますのだ」
 酷い魔法の言葉だと思うけど、文句を言い立てたところで状況は改善する訳じゃなく、遅かれ早かれ目覚めはやって来る。そして勇者が世界より先に立っている以上、目覚めたらお終いなのだ。勇者は遅れて来た者を許さない。それは本人の意思というより、もう一つのシステムだと言っていい。
 では、と考えた一人の学者がいた。勇者が眠りについたのを見計らって魔王一味と神の軍勢と人を全員世界から退去させてみてはどうか?
 とは言っても、世界に不純物が混じっている限り勇者の振る舞いは変わらないのだからちょっと難しい。現にその学者はすぐ殺されたし。
 彼の遺志を引き継ぐ形で続行された「勇者の隙をついて逃げ出しましょう」計画は何千年にも渡って丹念に紡がれ、その間にたくさんの興亡が繰り返された。
 で、やっと勇者が寝付いたのが百年前、それでもって誰もいなくなった世界でその百年後に目を覚ましたのが僕。どうしてここに取り残されたのかは分からない。みんなが散って行った先も分からない。僕もずっと寝ていたから、忘れられていたのかもしれない。
 目の前でよだれを垂らしている十代半ばとしか思えない少女に魔法の言葉をかければ、僕は瞬時に殺されるだろう。そして彼女はまた去って行き、新たな犠牲者が生まれるまで戻らない。魔王と神と人類は? 多分どこかに作られた新天地で楽しく共存か共食い。
 計画は成功したのだから僕はもう邪魔っけな存在なんだろうか。死んだ方がいい?
 死ぬのもあんまり怖くない。どうせ生きていても一人ぼっちだ。
 でも、僕は、この子と友達になりたくて、なれるかもしれないと期待していて、それで死ぬことも声をかけることも出来ないでいる。
「伝説の勇者よ、さあ目を覚ますのだ」
 この文句がまずいんじゃないかと、この子の前に来てからずっと思っている。けれど、色々考え抜いた挙げ句、少しも気の利いた台詞を思いつけなかった僕は、そろそろ終わりを決意しなければならないとも思う。
 例えば、「朝だよ」なんて言ってトーストとスクランブルエッグを差し出したら、彼女は友達になってくれるかな。そしたら小麦粉みたいにもろい世界で僕と彼女の二人きり。胸がときめかないでもない。
 僕はオレンジジュースと朝食のお皿をサイドテーブルに置いて、魔法の呪文じゃない言葉を彼女にかけてやる。
「おはよう。朝だよ。誰もいないよ」
 間もなく勇者は薄目を開けて僕を見る。
 殺されるにしても、せめてその後に朝ご飯を食べてくれればいいなと僕は思う。


後書き
 テキスポさんの「クイックライトバトル」に投稿した作品。お題が出されてから一時間で書きます。題名は「小麦粉」の意。仕事で粉を扱っていたのです。一等粉、二等粉、末粉というのがあって、前二者は1F、2Fと表記されるため、一階二階と勘違いして子会社に電話して大笑いされました。知らなきゃ分かんねえよ。内容については忘れたい。


最後まで読んでくれてありがとう