黒い海の町

 軒下では黒いワンピースを着た少女が泣きそうな顔をして立ちすくんでいる。音もなく降る雨の中、半透明の彼女は一層頼りなく見える。
 ある日、月の海から黒い水が落ちて城下町の広場に池を作った。水を失った月は浮力をなくして城に落ち、王侯貴族を挽き潰した。
 しばらく町は混乱を極めたものの、私を始めとする騎士団や議会の尽力、また夜の住人達が存外協力的だったので秩序の回復に大した時間はかからなかった。
 復興が一段落する頃になって町の住人は池の水が何時までも消えない事に気付いた。しかし闇より黒く染まったそれを掬い、或いは口にする者は獣以外いなかった。怖れを知らない畜生は水辺に腰を下ろしそれを啜る。その様子を見た人々はわずかな勇気を得たのか、獣の死体を池へと投げ込むようになった。
 池の水は都度都度泡一つ立てずかつて犬や猫、鼠であったものを飲み込んだ。そして、投げ込まれたものは様々な形で池から地上に戻って来た。生前の姿、腐乱死体、半透明の痩せた空気、骨。池から上がった死体達は変わった素振りも見せずに町を闊歩した。人々は驚嘆し、慌てて骨を砕き、死体を切り刻んだが全てはすぐに元の姿に戻るのだった。
 一方で同じ効果を人間に使えると考えた者もいた。後ろ盾を失った下級貴族や被害を被った人間の家族、私の両親等、多岐に渡る人々が真夜中に遺体を池へ引き込んだ。やがて町の何割かは死んだはずの人間で構成されるようになり、夜が神聖な時と見られ始めた。
 事態を憂えた議会は騎士団に対策を命じ、形成された部隊は私の発案によって月の鉄を削り出した武器でそれらを抹殺することとした。
 月から生まれた者は月の力で殺す。私の目算は当たっていた。私は下級貴族の前で王を袈裟斬りにし、獣を端から砕いて回り、両親が復活させた弟を自らの手で消した。弟の一件以来親族とは顔を合わせていない。
 そうして池の発生から一年が過ぎる前、町は静かな憎悪を孕みつつ夜から昼の地へと返り咲いた。
 弟を斬った時に両親が見せた表情は今でも涙に染み付いている。月を切って作った丸刃の剣は、握る度に重さを増すように感じる。死神の呼び名にはもう慣れたつもりだが、身体は言う事を聞かない。
 目の前では黒いワンピースの少女が泣きそうな顔で私を見上げている。私は柄に一旦かけた手を下ろし、彼女の頭を撫でる。手を握り、彼女の両親の元へ誘う。その後どうするかはまだ決めていない。


後書き
 千文字小説バトルを主催されている短編さんに投稿した作品です。賛否両論ありました。設定を語っただけで終わってしまった感がございますのでいずれもっと長い尺にて再構成してやりたいと思います。


最後まで読んでくれてありがとう