夏の国へ

 一度、夏を見たいと思っていた。
 僕の国には冷たい季節があるけれど、それ以外はない。寒い時を冬と呼び、そうでない時は冬の間と呼ばれる。冬は氷晶が舞う頃に始まって、雲が割れると終わる。
 冬が始まると昼間は雪が降る。太陽は分厚い雲の上に姿を隠し、代わりにエーテル灯が町を照らすようになる。僕たちは朝、雪をかき、マントルピースの火で溶かし、ココアをいれて飲む。空から落ちる結晶は手を洗うには少し冷たくて、時折あかぎれに入り込んでとても沁みる。
 夜は強い北風にあおられた氷晶が路地を走ってちりちり甲高い音を立てる。それが朝までに消えているのは、氷集めの年寄りが全て持ち去ってしまうかららしい。年寄りがどこから来てどこに行くのかは大人しか知らない。年寄りはどんな姿でどうやって氷晶を集めているのか気になったけれど、子供が夜にカーテンを開けると氷の妖精に空へ連れて行かれる伝説が怖くて、確かめたことはない。
 僕達子供は鐘が八つ鳴ると寝なければならない。眠れない子供は温かい飲み物で眠気を誘われる。もしかすると、大人は何かを隠しているのかもしれないと時々思う。ただ、友達にそれを話したら皆が皆目を逸らし、黙ってしまう。だから僕は、大人にこの事を聞こうとは思わない。
 それでも遅くまで寝付けない夜、警笛が聞こえることがある。そして、その後に重々しい鉄の擦れる、下手なバイオリンを思い出す車輪音。いつか母親がうっかり漏らした「貨物列車」というのは、多分あれのことだろう。線路の上を走る鋼鉄の車に、そういうものがあると聞いたことがある。
 音からして、貨物列車は南へ向かう。線路を南へ一日走った辺りが目的地で、そこは夏の国と呼ばれていると、巷で噂になっている。そこではいつも太陽が照っており、子供も大人もコートを着ないで歩き回り、たくさんの果物が採れ、肌が黒く焼ける。これも大人は誰も話してくれないけれど、貨物列車の運転士は肌の色が他の人よりもずっと濃くて、夏の国があることを証明しているみたいだ。
 貨物列車は何を運んでいるのか。誰にも聞いたことがないけれど、僕は予想をつけている。無骨なコンテナに積み込まれるのは氷晶に違いない。「貨物」というのは年寄りの集めた氷晶で、運転士達は皆が寝静まった後、それをどこかへ運んでいる。おそらく、夏の国へ。
 雪の残りで作ったポタージュを飲み終えて灯りを消すと、部屋は伸ばした手の指さえ数えられない暗闇に満たされる。僕は寝付けず、警笛を聞く。伝説なんて嘘だと自分に言い聞かせながら恐る恐る断熱カーテンを少しだけ開ける。すると信号機の赤いシグナルが差し込んで来る。急いで全開にするや刺すような冷気と凍った窓の向こうに氷晶の欠片が付いた信号機、長い長い列車、嵐のように吹きすさぶ冷たい欠片に遮られて反対が見えない、絡み合う線路。
 僕はクローゼットからコートを引っ張り出して羽織り、静かに部屋の扉を開ける。両親は寝入っていて僕の脱出に気づかない。心の中で謝って、軋む音を気にしながら階段を下りてブーツを適当に履く。飛び出した道路に氷晶の姿はもうない。駆け出せば石畳を蹴る音が夜の町にこだまする。
 鉄柵を乗り越えて線路に入る頃、貨物列車はゆっくりと去って行くところで、僕は吹きすさぶ氷に音を上げそうな身体を痛めつけながら追い駆ける。幸い車掌はおらず、何とか最後尾の階段に掴まって列車に乗り込んだ。
 見つかってはいけない。そう考えコンテナの扉を、音が立たないよう気を付けてこじ開けたら、中身は想像通り氷晶の山だった。既に塊となったそれらは結晶ではなく、氷と呼んで良いかもしれない。
 僕は息を整え、さっきまで氷晶だったものに身体を埋めてみた。冷たいけれど、どこか柔らかくて優しい感じがする。氷を口に含んでみると思っていたより硬くない。夜が更ける中、抑えられていた僕の眠気は少しずつ身体に広がり、氷は段々と暖かみを増す。
 このまま寝転がっていれば夏の国に辿り着けるだろうか。夏に目覚めたら何をしよう。そんなことを考えながら、僕はなだらかな眠りへ落ちて行く。
 冬の国に生まれながら夏を望んだ僕を、氷は許してくれるかな。


後書き
 Creative Configurationさんという劇団主催の朗読公演というものがあり、朗読用の小説を公募されていたので送ったら採用されました。ナイス。テーマが冬ということでみんな雪だの何だのを打ち出して来ると思われたため、裏を取って夏から行ったところ上手くはまってくれたようで、選者の方には感謝し切りであります。で、実際朗読を聴いたら作品の出来の悪さに辟易し、改稿した……十一月二十八日。


最後まで読んでくれてありがとう