体育のハンドボールがあまりにきつかったからベッドに丸まってうたた寝していると、すっと扉が空いて姉が入ってきた。何かと思ったけど眠さの方が勝っていたので目も開けずそのままでいたら、姉は何を思ったのかベッドに腰掛け、僕の左手首をそっと握って持ち上げもう片方の手で撫で始めた。
「姉ちゃん?」
「目ぇ開けないでいいよ。そのまま寝てて」
 そう言いながら指先で手の甲をなぞる。僕はくすぐったさでうたた寝に集中できなくなる。姉の手つきはヴェルヴェットを撫でるみたいな軽さで、気持ち良いけど背中がむずむずする感じ。
「優ちゃん、今日ハンドボールだったんだって? 大変だったでしょ」
「うん、ちょっと」目は開けないまま答える。「一人シュート五十本やらされて、それでもう握力なくなっちゃって。って、姉ちゃんよく知ってるね」
「わたしは何でも知ってるの」
 姉があまりに静かな調子で言うから僕の胸は殴られたみたいにドキリとなって、眠気が少し吹き飛ばされる。
 姉は撫でていた手を止めると両手で僕の左手を包み込み、吟味するように全体をさすってきた。これもいつもの姉とは違って僕をどこかへ誘うような手つき。僕の眠気は別の陶酔感に取って代わられる。
「マッサージしてあげよっか」
「や、いいって。姉ちゃんも疲れてるでしょ」
 僕が断ろうとすると姉は手を止め無言になる。何となく重い沈黙。やっぱり普段の姉とは違う。姉はここで僕の言葉なんか無視して強引にマッサージを始めるような人なのだ。
 沈黙は続き、段々と重さを増して行く。僕は思いあまって姉の顔を見上げようとして、電光石火、片手であっさりと遮られる。
「寝てていいのよ」
「でも」
「いや? マッサージされるの」
「ううん」
 姉は再び両手で僕の手を取り上げ、今度は胸元に持って行く。生地の奥にはっきりした感触。姉ちゃん、何してるの。
「いや?」
「……お願いします」
「よろしい」
 そして姉は手の甲にキスを一つ。とても軽く触れるくらいのキスだったけど唇は温かく湿っていて、僕の肋骨の間を震わせる。それからマッサージが始まった。
 マッサージ自体は何のことはない、普通のものだった。指を引っ張ったり、手の平を強めにさすったり、時々ツボを指圧してくれたり。でもその一つ一つに何かマッサージじゃない意識が含まれているみたいに思えて僕は落ち着かなかった。手の平を行き来する姉の親指はまるでゆったりと僕を舐めているようだし、指圧されると指先が身体の中に入って来るような気がした。姉の指は温かくて滑らかで、時々湿り気を帯びていた。
 一通りの手順を終えたのか、姉の手が止まる。これからどうしようか決めかねているような様子だ。僕はそれとなく右手を差し出してみたけど反応はない。姉の両手はまだ僕を包んで、人肌の温室に閉じ込めている。
「優ちゃん」姉がとうとう言った。僕ははいって返事をするしかない。
「マッサージのお返し、もらっていい?」
「お返し?」
「そう、お返し。優ちゃんはそのまま寝てていいの。わたし、勝手にもらっちゃうから」
「別にいいよ」
「本当?」姉の声が妖しい微笑みの色を含む。僕の手が姉の太ももに乗せられる。張りのある柔らかさが僕を刺激して、思わず手を這わせてしまいそうになる。ダメダメ。「本当に?」
「本当。お返し、するよ」
「ありがと」
 小さな声で答えてから、姉はベッドから降りて僕の手を頬に当てる。冷たい頬だ。化粧っ気がなくてつるりとした肌。手が汗ばむのを感じる。
 姉はしばらくそうしていたかと思うと再び口元に手を持ってきて、さっきと同じようにキスをした。いや、さっきとは違う。さっきのは触れるだけという感じだったけど、今回のは吸い付いてくるようなキス。姉は僕のざらついた肌を吸っている。始めは浅く、それから深く。少しずつ唇の奥まで肌に触れさせて、僕を吸い取って行く。手の甲は段々と濡れ始める。
 何回目かに、舌先が触れた。僕は反応して手をこわばらせる。姉はいたずらっぽく笑って、それでもキスをやめない。唇の裏が僕を撫でて冷やし、その後を濡れそぼった舌が追う。
「姉ちゃん……」
「くれるって言ったよね」姉は一旦口を離して答え、再びキスに没頭する。姉のキスは深く深く入り込んで僕の神経を伝って脳みそを姉の色に染める。最初探る程度だった舌の動きはもう全体を使っての蹂躙に変わっている。筋の一本一本、浮き出た血管全てを堪能するように前後左右とうごめき回る。姉の舌が動く度、音に鳴らない音が肌を伝って体中に浸透して行く。
「言ったけど」
「言ったけど、なあに?」
 言いながら姉は僕の小指をちゅるっといういやらしい音と共にくわえこんだ。
「んっ何でもないっ」
 情けない声を上げて右手を姉の顔へ伸ばす。すると姉は予想していたかのように空いた手で僕を抑え、指の平をそっと舐め上げる。僕はそれで最後の抵抗力を奪われる。あとは姉のなすがまま。
 姉はまず唇を使って僕の指をもてあそぶ。付け根から爪先へ、感触を楽しむように時間をかけて吸い上げる。僕は姉に身体の芯をなぶられているような気持ちになって、何かやり返したいけどどうにもできない。
 やがて唇の動きに歯が混ざる。第二関節の突き出したような骨を軽く噛んで僕をビクリと震えさせ、そのまま第一関節へ滑らせる。わざとやっているのか、骨に当たるたびかすかな痛みを伴った快感が電気みたいに腕を走る。唇が第一関節に届く頃、歯は爪とつむじを挟んで小さく噛み締めるように動く。それからまた指の付け根へ。反射的に指先が動いて姉の口腔に当たる。
「んっ」姉が小さく喘ぎ、次いで咎めるように言う。「ダメよ」
 そしてまた、舌が蹂躙に加勢してきた。姉の舌は僕の想像なんて及ばない複雑な動きで指の表裏、根元から先、爪、皺の一本一本をせめ立てる。これもわざとなのか、たくさんの唾液を絡ませてくちゃりと粘り気のある音を神経に刷り込みながら隅々まで舐め回されて、僕は開いた口を塞げずによだれを垂らしそうになる。爪先を転がすようにチロチロと上下する姉の舌先は蛇のそれを思わせる。かと思えば舌だけで指をくるんで飲み込まれてしまいそうになるし、それで声を上げそうになるのを我慢したら今度は指の甲を丹念になぞってくる。
「っあぁ!」僕はたまらず喘ぐ。姉はそれを聞いて満足したのか、最後に指全体を思い切り吸って、やっと僕を解放してくれた。
 いや、それは間違い。僕が一息ついた瞬間、薬指との間に切り込んで、指の股に吸い付いてきたのだ。僕はそれでまた喘ぎ声を上げてしまう。一瞬だけ目が開いて、姉の目が視界に入る。満足げで潤んでいて、少し座ったような艶やかな目。見ていると僕の中身が吸い込まれてしまいそうで、すぐに目をつぶった。
 すると姉は僕の弱腰につけ込んでやると言わんばかりにじゅるじゅると水かきの所を吸う。舐める。噛む。ひどく大きな音を立てて、僕をはずかしめようとしているのだろうか。指の間の奥の奥に差し込まれた舌が毛穴から侵入してきそうなくらいきめ細かく動く。僕は喘ぎ声と荒くなる息を押さえ込もうと努力するけど全然無駄で涙目になる。姉の唇が手の甲まで含んでまた生温かい響きを僕に突きつける。
 それを何回も繰り返されて僕はもう半泣き状態になって、やっと全部の指をねぶられ終わったと思ったら、最後に手の平が待っていた。唾液をたっぷり塗りたくった舌で姉は親指の根元から手首を伝って一回りし、それから生命線、運命線をえぐるように強くたどる。犬なんかに舐められるような無邪気さはそこには一欠片もなくて、姉は明らかに僕の手を貪っている。舌を手に合わせるようにべっとりとくっつけ、自分でべとべとにした所を力一杯すくい取ってゆく。僕は切なくなって泣き声を漏らす。手首を固定する姉の手に力が込められ溶かされそうなくらい熱くなる。再び生命線。人差し指の下から手首近くまでを何度も舌先が往復して、まるで姉が僕の生命線を描いているみたい。全体を舐める時とは違う固さで差し込まれると身体全体に電気ショックが広がって行く。小さな声で駄目って言っても姉は許してくれない。
 僕の「お返し」が終わったのはそれから何分か何十分か、とにかく長い時間が経った後だった。僕の意識は朦朧として頭の中は姉に満たされていた。
「うん、優ちゃんの手、おいしいね」姉は快活な中に何かを含ませたような口調で言った。
「ん、そうなの……わからない。僕もう動けないよ」
「疲れちゃったんだね」
「疲れたっていうか何ていうか、もう駄目っていう感じ」
「そう」と姉。楽しくて仕方ないといった雰囲気。
「姉ちゃん、ありがと」
「いいえー」
 姉は笑ってぐちゃぐちゃに溶けた左手をベッドにおろす。
「それじゃ次、右手いこっか」

後書き

 長くなりました。『耳』の最後に「以来何かしてくるようなことはなく」なんて書きましたけど、あれは無しってことでお願い致します。
 『耳』と変化をつけようと頑張ってみましたが、いかがでしたでしょうか。ちょっと淡白でしたかしら。いかんせん責めのネタが被るのでなかなか違った感じは難しい。弟の反撃があればもうちょっと変わるのかもしれないんですがね。それはまた無しの方向なのですよ。やられっぱなし。
 この話はサイケアウツ・ゴーストという人のBuddha Step Dubという如何にも妖しげな曲を大音量で聴いてトリップしながら書きました。頭がおかしくなりそうです。あなたも狂って下さい。
最後まで読んでくれてありがとう