モータープール

 うちの近くにはモータープールがある。いわゆる駐車場ではなくて、本当にモーターが集まる施設だ。手の平サイズのラジコンから大きいものになると新幹線の発動機まで、ありとあらゆるモーターが全国から集まってくる。集まったモーターは文字通り大小のプールに入れられて、傷ついた箇所や古くなった身体を休めるらしい。
 モータープールの外観はアパレルとかの倉庫みたいな十階建てくらいの無表情な建物で、中で無数のモーターが眠っているなんて想像できない。少しすすけた漆喰は所々が欠け落ちているし守衛所のおじさんも通るたび退屈そうにあくびをしている。でも建物の一番上にはちゃんと『モータープール』という表記がされているし、毎日のようにトラックだって出入りしている。
 一度だけ十トンクラスのトラックが巨大なモーターを降ろしている所を裏門から見た。それは本当に巨大なモーターで、エンジンを使うはずのロケットでも飛ばせそうなくらいだった。夢かと思って壁を殴ってみたらきっちり痛くて指の付け根から血がにじんだ。
 そんなわけだからきっとあそこは本当にモータープールなんだって、僕はちゃんと確信している。
「じゃ、モータープール行こっか」
 夏も真っ盛りのある日、姉がそんなことを言い出した。無理ですよ姉ちゃんそんな重要そうな施設に入るなんて。そう反論する前に姉は続きを言う。
「あのね、実はあそこって夜の警備は全然やってなくて、そんで裏口のドアは鍵かかってないんだって。だからわたしらでも入れるんだよ」
 どこからそんな情報を入手したんだろう。
「友達が一度入ったことあるんだって。ほんとにモーターだらけですごかったらしいよー。優ちゃんも見たいでしょ?」
「うん」
 というわけで僕はノコノコ姉に着いて行くことになった。どういう訳だか知らないけれど、姉に誘われるとどうしても断りきれない。最初反対していたとしても最後にはいつも姉の思い通りになってしまう。姉にはそういう素質があるらしい。少なくとも僕に対しては。もしかして、僕は姉のことが好きなんだろうか。いやいやそういうのはなし。
 姉の言った通り、モータープールは部外者に対して何の防御策も持っていなかった。守衛所は夜になったらもぬけの殻で、建物の脇に広がる荷下ろしスペースには運転手のいないトラックが無造作に放置されている。侵入者を見つけるサーチライトも赤外線探知機もないし、僕達が門を乗り越えたところで警報装置が作動するわけでもなかった。辺りに人気はなくて、目の前に立ちはだかる建物も四隅に赤いライトが明滅する以外はただの巨大なコンクリートの塊にしか見えなかった。
 僕達は素早く裏口に回る。建物の規模と比べてあまりにも小さい、人一人通れる程度の扉だ。うちの勝手口と何も変わらない。窓ガラスには割られないようにか一応ワイヤーが張り巡らされているけれど、それって鍵が壊れていたら何の意味もない。
 で、鍵が本当に壊れていてあっさり扉が開いたので僕は驚いて声を上げてしまい、姉の空いた手で口を塞がれた。熱帯夜だというのに汗もかいていない、冷たい手。
「静かにねっ」
「ごめん、ほんとに開いてると思わなかった」
「わたしが今まで嘘ついたこと、あって?」
 僕はぶんぶん頭を振り、姉は影の中で満足げに微笑む。それから小さな懐中電灯を取り出して、いよいよ中に不法侵入だ。扉をくぐる瞬間はおっかなびっくりだったけど、ここでも警報は鳴らないし建物の中にも警備員の人一人いないみたい。不用心だなあ。僕が言える立場じゃないけど。
 姉は勝手知ったる場所みたいにずんずん進んで行き、適当に扉を開けて階段を上ってまた別の扉をくぐる。恐ろしくエネルギッシュな決断力。僕は帰り道が分かるよう扉を開け放しておく。多分誰もいないだろうと思っても、万が一見つかった時のことを想像すると少し怖い。
 道すがら、たくさんのモーターを見た。木のパレットに積まれたり段ボールに入れられた彼らはこれからプールに浸かるのか、来たばかりで査定とかされていないのか、それとも全部直されて出荷を待っているのか。僕の目で見ただけじゃ何も分からない。ただ大小様々のモーターが、少なくとも僕には理解不能な順番で並べられている光景は何となく奇妙に思えてならなかった。
「優ちゃん、静かに歩かなきゃダメよ。見つかったら怒られちゃうからね」
 怒られるで済めばいいけど。
 そしてどれだけの扉を通り抜けたのか、とうとうモータープールに辿り着いた。
 そこもまた不思議な空間だった。面積は学校の体育館より少し広いくらい。二階吹き抜けになっている部屋で、その中央に学校のよりも大きなプールがでんと鎮座している。暗くて深さはわからないけど、ここまで上がってきた階段を思い返すと相当深いように見える。プールの端には船着き場がいくつかあって、それぞれに小さなモーターボートが括りつけられている。天井の方を見上げると四方の壁からクレーンが突き出している。ボートで岸近くまで引っ張ってきてあれでつり上げるんだろうと、何となくイメージが湧いた。
 プールにはいくつかのモーターが浮いていた。電車についていそうな大きなモーター、電気自動車のモーター、あとは両手に収まるくらいのがいくつか。どれも、懐中電灯以外は壁の一番上にとりつけられた窓から入ってくる月明かりくらいしか光のない薄闇の中で、何も言わず微動だにせず、ただ静かに浮いていた。
「きれいだね」僕は姉に向かってつぶやく。姉は珍しく何も言わずに頷く。
 僕達が室内を歩くと、その震動が伝わって水面がかすかに波立った。小さなモーターはトゲのない波に揺られて暗いプールをゆっくり泳いで行く。
 姉はプールサイドに辿り着くとそのまましゃがんでプールの底を見通すように覗き込む。
「危ないよ、姉ちゃん」
「大丈夫だよー。心配なら優ちゃん支えててくれる?」
 そう言って差し出された姉の手を僕は両手でつかんだ。相変わらず冷たい。
「どのくらいのモーターが沈んでるんだろう」
「たくさんだよ」姉はうっとりとした様子で答える。「たくさん」
 そのとき姉のすぐ近くの水面が軽く揺らめいかと思うと、手の平サイズのモーターがトプンと音を立て浮かび上がってきた。そこはちょうど月光の当たる所で、濡れたモーターは水面から頭半分くらいを露出すると、表面に付いた液体で滑らかに光を反射した。
「あ、これって触ってみろってことだよね。わたしに」
「ちがうと思う。やめようよ姉ちゃん」
「やめないって言ったら?」
 止められません。
 姉は片手は僕と繋いだままそっとモーターの軸に人差し指を伸ばす。心なしか指先が震えているようにも見える。そしてほっそりとした軸に触れると満足げに自分の濡れた指平を眺めた。親指と軽くこすりあわせてもう一度離すと、モーターから移ってきた液体が少し糸を引きながら流れて行く。僕の胸が少し高鳴ったような気がする。
 と、モーターが一瞬震え、その直後いきなり回転を始めた。甲高い駆動音が室内に響く。すると浮いていたいくつかのモーター達もそれに共鳴するかのようにそれぞれの音を鳴らし始めた。僕は思わず姉の手を引っ張って転ばせそうになる。
「あ、ごめん」
「だいじょぶよん。いいけど、どうしたんだろこれ」
「わからないけど帰った方が良くない?」
「だね。逃げちゃおう」
 そう話していると水面が大きく波打っていくつもの泡が弾け始めた。そして水底の方からも液体を伝わってたくさんの響きが伝わってきた。もしかしたら沈んでいるモーターまで動き始めたのかもしれない。以前見たあの巨大なロケットモーターが動いている様子を想像するといても立ってもいられなくなる。いよいよ逃げちゃわないと。僕は姉に先立って入口に向かう。
「優ちゃん、すごいね。音楽みたいだよ」姉は楽しげに言う。
 僕はもう答える余裕がなかった。ただ元来た道を走る。扉を抜け、階段を下り、シャッターをくぐって出口を目指す。その間もずっと、追いかけてくるようにモーターの奏でる音が響いている。モータープールからは離れつつあるのに音はどんどん大きくなってくる。ベースやドラムみたいに頼りがいのある音。甲高いギターみたいな僕をワクワクさせる音。音は時間と共に増えて絡まって行く。
 そしてやっと鍵の壊れた扉を姉が後ろ手に閉めた時、それは辺り一円を埋め尽くすようなアンサンブルになっていた。
 門を乗り越えて家へひた走る。その最中も音は鳴り止まなかった。モーター達は老若男女問わず歌い続けていた。確かにあれは音楽。聞えない人には分からないしすごく荒っぽいけど、音楽。僕は悪い事をしてしまった後ろめたさよりもその音楽に耳を奪われる。姉は走りながら、モーター達に合わせてハミングする。僕も思わず歌い出しそうになる。
「姉ちゃん、ありがと!」
 僕が目立たない程度の声でそう伝えると、姉は街灯の明かりに照らされてちょっと照れくさそうに笑った。
 それから何とか親に見つからず部屋まで辿り着いて当局の追求を逃れて学校の噂が収まる頃になっても、僕の頭には彼らの音楽が鳴り響いていた。


後書き

 寝よう。

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