花が咲いた日

 〇、無題
 
 私はそれが崩れて行くのを見た。この目で。
 
 
 一、騎士団
 
 ウルスラは都市国家で唯一の女性騎士であることを除けば極めて貴重な戦力だった。
 鎧の露出度はやや高かったものの、隠し切れない部分は布が覆っており、健全さに関しては全く問題がなかった。性格的に騎士向きだったか問われれば首を捻らざるを得ない部分もある。ただ幸いにしてそれが戦場において作用するものではなかったため特に問題視はされなかった。
 彼女を手込めにしようとする不埒者の集団はいなかった。否、正確には、最初はいたのがあっという間にいなくなったと表現するのが適当である。どこからか侵入して寝込みを襲おうとした者に対しては持ち前の素早さで彼らの攻撃から逃げ出しないし過剰防衛を試みた上、彼らは例外なく有能な騎士達によって捕縛され個人的あるいは法的な裁きを受けたから。
 騎士という職につけた理由もほぼその点に尽きる。血筋を問われず専ら能力のみによって決められる資格の有意無意を決定づけたのは誰よりも速く動く四肢とそれを辛うじて補完する筋力、的としての体躯の小ささだった。
 十五才の若さで資格試験に現れた小柄な彼女を見る目は当初失笑、苦笑といった、誰にとっても鬱陶しい蔑みの笑いだったが実技を見るや下目遣いは消え、試合が始まれば驚異から脅威、一部は尊敬へと移り変わって行き、最後には誰も挑戦者がいなくなり、結局同世代の先陣を切る形で認定を受けた。
「情けないもんだ」
 当時副団長を務めていたストイカンは何度となくこの台詞を吐いている。ともすれば女性蔑視とも受け取られかねない文言ではあったが、ウルスラに直接どういった情けなさを表したものか丁寧に説明をしたため大事には至らなかった。「万が一決闘になった場合を恐れた」などと軽口を叩いた人間は例外なく訓練で彼の餌食となり二度と同じ台詞を吐かなくなった。その点、副団長としての人格適性に落ち度がなかったかは知れない。五十才近くにして尚身体能力、特に持久力の落ちない黒髪黒髭の中年は、兎角容赦をしない男だった。
 当然、軽口に出て来た「万が一」が起こったこともある。一対一の実戦訓練である。
 大柄で腕力と強靭な足腰を基盤に無骨なハンマーを振うストイカンと、矛先に斧刃、鉤まで付いた身長より長いハーフパイクを振り回しているのか振り回されているのか分からないウルスラ。団員の期待に反して決着がつくには至らなかったものの、彼女の実力を見せ付けるには十分なデモンストレーションの場になったと言える。実際、入団二年目でストイカンと最後まで渡り合った十代の騎士などそれまでもその後も、当時騎士団長を務めていたハイトを除いて存在しない。
 そんな様子を特段の劣等感も覚えずに賭けなどしつつ見学する団員達を見て、ストイカンは件の台詞を吐いた訳である。
 屈強な男達との試合を見てまず興奮したのは、怪しげな雰囲気と唐突な忍び笑いに定評のある騎士団付きの魔術師、モースだった。既に髪が全て白くなっているにも関わらずそれ以外の外見が十代の男と変わらない自称天才は、早速ウルスラに肉体改良を持ちかけた。
「君はもっと騎士らしくなれるよ! 多分!」
 肉体を魔術で変えられる。その根拠は彼自身の若さに満ちあふれた顔と貧弱ながらも皺一つない首の下で、これには彼女もやや興味を惹かれたようだったがすぐに思い直して首を振った。怯えた目を泳がせながら断りのジェスチャーを繰り返す姿は騎士のそれではなく、内気な少女そのものでしかなかった。
 モースは一瞬落胆し、数瞬後には気を取り直して「気が変わったらいつでもおいで」と付け加え、にやりと笑って研究室へ戻って行った。以後、何度もの接触があり、結局ウルスラは別目的で彼の施術を受けることとなる。
 実年齢と見た目が同じ頃から騎士団詰め所の一角を占領していた彼にとって申し出を断られることは日常茶飯事であり、前向きさと自信、しつこさに関しては誰もが舌を巻くほどだったため、同件も大した心の傷を与えはしなかったようである。
 彼女自身が肉体改造に興味を惹かれたのか誰かのために申し出をするつもりだったのかはさておいて、断りを入れた後も研究室の前を行きつ戻りつしながら最後にはそそくさと離れて行く姿を何名かの団員が目撃している。
 
 入団から四年が経ち、十代の春が終わりに近付いたある日、騎士団長直々の呼び出しがあった。町の広場に立ち並ぶ木々は花から葉へと衣替えを始め、空は冬の高さを失いつつあった。道を行く人々は外套を脱ぎ、色鮮やかな春服を楽しんでいた。
 用件を告げられぬまま執務室へ招かれたことに怖れや不安を抱いたのか、詰め所で最も丁寧に設えられた扉の前でノブに手を伸ばしては慌てて引き退る彼女を、やはり数人の団員が目撃した。
「ありゃ、愛の告白されてどうかしちまった子だよな」
「確かに騎士様じゃねえ」
 訓練と実戦の数々を経て、既に騎士としての立場を確立していた彼女は、しかし色恋沙汰の対象というよりは愛玩動物のように見られる場合が多かった。
 五分ほど右往左往していたウルスラの気配を敏感に察知した騎士団長が「入れ」と命ずるまで、確かに彼女は確かに小動物以外の何者でもなかった。
 ウルスラはどうでもいい命令に飛び上がり、急いで扉を開けた後に一度閉めて、三度ノックしてから再び入室し、ぎこちなく一礼して騎士団長の名を呼び、しどろもどろに挨拶をした。
 ハイト団長。
 たった五文字の名前を呼ぶのに苦労する様子を見てうんざりしつつも彼は執務机の前に立つよう指示し、本題に入った。
「貴様を呼んだ理由は分かるか、ウルスラ」
 三十を過ぎたばかりという若さから来る率直さでハイトは訊いた。
 ウルスラは首を振った。
「返事は声を出して行うものだ」
 ウルスラは消え入りそうな声で返事をした。
「では、貴様は自らの立場と力量を正確に把握しているか」
 ウルスラは半泣きで返事をし、首を振った。
「よろしい」
 ウルスラはほっとした。
 このように、ウルスラの性向は能力と裏腹に、控えめに言っても内気極まりないもので、そこが騎士団内における面白み且つ悩みの種であり、特にハイトは粘り強く変化を待っても実力の向上に比例しない態度の小ささを何とかすべく努力を怠らなければならなかった。だが、彼もまた経験に比例して柔軟さを手に入れる人間ではなく、芳しい成果は出ないというのが騎士団内における暗黙知となっていた。
 声は小さく、問いつめられれば答えに窮し、休日に町を歩く時はひたすら人を避けて道の端から離れようとしない騎士。おかげで女性団員を持つ騎士団に対する陰口は増え、慰めや励ましの言葉はウルスラ一人に向かってのみ投げかけられた。町の男衆は堂々と風を切って歩くべき騎士が何たる事かと憤慨し、女性陣はそんな彼らを糾弾しつつウルスラを擁護した。
 男声恐怖症の気があったこともそれに輪をかけていた。それでも騎士の人生を選んだのは、他に出来る仕事がなかったからだとある市民は述懐している。
 が、実際のところ彼女は別の意味で他に出来る仕事がなかった。即ち、能力ではなく、性格。彼女とて帳簿をつける程度の仕事をこなすことは可能だった。ただ完成した帳簿を上司に渡す際、声をかけることが至難だったのである。
 話は執務室に戻る。
「この度、我らの舞台に遊撃兵を復活させることとなった」ハイトは机の上に手を組み、重々しげに聞こえる声色で言った。「遊撃兵については知っているな」
 ウルスラは震え声で、簡潔に答えた。
「そう、前線をかき回す独立部隊だ。声が大きければ尚良い」わずかな笑みを口元に浮かべた彼女を見て、やや好ましげにハイトは続けた。
「ここ数十年、遊撃兵は廃止されていたが、理由は大きく分けて二つある。一つは単独行動に出る人間を抱えた状態で前線の秩序を確保出来ないことだ。どれだけ敵勢力を混乱させても、自分達がそれに対応する必要がある。その点で我々は戦力不足だった」小さくため息を一つ。「もう一つは何か、分かるか」
 白塗りの天井から困惑気味の沈黙が降りた。秩序を好むハイトは我慢強く重い空気に耐えたが、しばらくして首を傾げたウルスラに業を煮やしたのか、とうとう言った。
「能力のある者がいなかったからだ。一対多数を基本とする戦場において、味方の援護を期待せずに四方から迫り来る敵を迎撃出来る力を持った騎士は、私を含め、常にいなかった。それが、やっと現れたのだ」
 喜ばしげなウルスラ。笑顔を見せればおっとりした印象を与える彼女はハイトをも和ませた。
「一言で表現すれば天才ということだ。天才が今の騎士団には一人おり、更に彼女を計算に入れた戦術を組める総合力も整っている」
 彼女?
「彼女と呼んだことに気が付いたか。いや、遊撃兵の話を始めた時から分かっていたかもしれないな。察しが良いのは好ましい。準備に割く時間を長く持てる」
 再び、一息。
「命令を下す。ウルスラ、本日をもって貴様を当騎士団遊撃兵に任命する」
 ウルスラは硬直し、彼女からの拒絶意思がないこと、あるいは反論する力がないことを理由として、騎士団に新たな職位が誕生した。
 
 呆然としたまま退出した彼女を手荒い祝福が待ち受けていたが、背中に叩き付けられる好意の平手打ちを痛いとも感じないまま、普段は眠たげな目を大きく見開いて、花崗岩造りの廊下を遊撃兵は歩いた。その時点で資格喪失を命ぜられてもおかしくない無防備さだった。
 自室への途中ですれ違ったモースから祝福の言葉をかけられ、ウルスラは初めてすがりつきたい気持ちと理解されない怒りを覚えた。
「不安ならいつでも研究室においで。まあ、私の見たところ大丈夫そうには思えるんだけどね。試合だけ見るなら」
 そのまま誰から褒められたかも忘れ、ベッドに倒れ込むと、天井の梁になりたいと願いながら、いつの間にか眠りに落ちていた。
 
 
 二、初戦
 
 ハーフパイクは槍斧の中でも最も多機能性に優れた代物で、突く、叩く、斬る、引き倒すなど、白兵戦において必要な機能を全て備えている。ストイカンのハンマーほど打撃破壊力はないものの、柄尻に付いている石突きを用いれば、隙のない鎧を相手にしても一定の効果が期待出来る。
 ただ、ウルスラが入団から間もなくしてその武器を自分の相棒に選んだのは万能的な騎士を目指すのが目的ではなくどちらかと言えば逆で、何でも出来そうだから一つくらいは自分に合った部分を持っているかもしれないという後ろ向きな発想からだった。
 身の丈より大きな武器を選ぶのは自信過剰か無知の為せる行為のため、当時は女性ということも含めて落胆を買ったものだが、性格とは異なり重心の使い方が上手く、またボディバランスも良い彼女は間もなく試しの友を生涯の相棒とし、周囲の評価を一変させた。
 半年でハーフパイクの能力を全て引き出せるまでに成長した彼女は一対一では同年代相手にほぼ敵なし、前述したストイカンとの一戦でも周囲が予想した以上の力を見せつけた。その後一対二、一対五と相手を増やして試し、戦場における経験を積み、注意力と集中力にも並外れた才能を見出された結果、ハイトから遊撃兵に任命される運びとなった訳である。
 
 遊撃兵戦術を採用した背景には、隣接都市国家との戦況が泥沼化していた点も挙げられる。三十年を超える局地戦は互いの手の内を全て出し尽くした挙げ句、意地の張り合いと化しており、半ば形骸化して見せ物の様相も呈していた。裏では長同士が賭けのような形で停戦・終戦条件と賠償請求の金額を決定させたという噂も長年一般市民の間を飛び交い、両都市の空気は埃にまみれて先の見えない黄土色に変わり、皆が疲弊しうんざりし、誰かが仲裁に入ってくれることを望み、されど田舎の冴えない二都市国家のいざこざに介入する物好きなどどこにもいなかったので、諦めざるを得なかった。
 
 数十年振りの大役に任ぜられ混乱の真っただ中にいたウルスラを辛うじて支えたのは、同期入団のマリウスだった。実直と謙虚を絵に描いたようでいて、更に小柄でウルスラとそう変わらない身長を持つ少年は入団当初からウルスラに共感を寄せており、何かにつけては助けになろうと話しかけ、雑務を手伝い、模擬戦の相手を買って出た。ウルスラと異なり天賦の才に恵まれなかった彼のこと、仕合えば確実に敗北を喫したが、格上の相手と頻繁に手を合わせられる機会を得た僥倖か、努力が身を結ぶ才能を持っていたのか、十代としては十二分の力を身に付け、騎士団内で頭角を現し始めていた。
「ウルスラ」
 彼はいつも、優しさを滲ませた調子で彼女の名を呼んだ。決して笑みを絶やさず、気遣いのこもった態度で彼女に一時の安らぎを与えた。
 そして、自らの処遇に納得出来ず泣き寝入りに入ったところにも、当然のごとく彼は現れた。
「ウルスラ」木目の剥がれかけた扉をノックしながらマリウスはいつも通り呼びかける。返事はない。もう一度呼びかける。掛け布団の動く気配がする。三度目で靴を履く音、重い足音が聞こえ、地獄の亡者のごとき表情をした内気な女性騎士が開かずの扉を開くがごとく、ぎいと蝶番をきしませながら登場した。
「入ってもいいですか?」
 ウルスラは黙って扉を開け放ち、一足先に引き返してテーブルセットの椅子を引いた。それからのろのろと紅茶の用意をしてテーブルに置き、自分もマリウスの向かいに座った。
 差し出された紅茶を一口すすり、おいしいですねと一言褒め言葉を挟んでから、マリウスは言った。
「大丈夫ですよ」
 ウルスラは不安げに首を傾げた。
「あの、出来るだけ近くで補佐するように頑張りますから」励ましの言葉を発してから照れ臭そうに頭を掻く。その仕草は恋する真面目な青年そのものだったが彼はそう言われる度に全力を持って否定したものである。
 恋愛感情抜きの共感が何年も続くものか。
 周囲の主張に耐え抜く姿はある種ウルスラと似てもいた。
「遊撃兵ってどれくらい大変か分からないけど、多分一人で放り出されるような役じゃないと思いますし、さっきハイトにお願いして来ましたから。あまり離れた場所に配置しないでくださいって」
 ウルスラの表情が明るい驚きに変わった。再度首を傾げ、結果を窺う少女から悲愴感は薄れていた。
「『そのつもりだ』って仰ってましたよ」マリウスの口調は嬉しげで、向かいの華やぎに拍車をかけた。
 ウルスラは乱れた茶髪を結い直し、これまた恥ずかしそうに小さく感謝の言葉を口にした。マリウスの目が泳いだ。
 
 形骸的になっているとは言え、実戦は試合や模擬戦とは全く異なる緊張感に包まれる。極力死者を出さない暗黙の了解が双方に浸透してはいたが、それを無視する人間もいたし、時には収束しそうになる戦況をかき乱す戦略が組まれることもあった。戦争は都市国家の力関係を決める大きな要素なのでそれは何をか言わんやといったところ、また、単独で同様の暴挙に出る者、騎士の振りをして混乱を誘う夜の住人もいた。
 当然、騎士達にかかる精神的、肉体的な負荷は常人に耐えられるものではない。総力を挙げた戦いではなく大義名分もない中で死線をくぐり抜けることが出来る者は少ない。故に戦争は常に局地戦で、戦術戦とすら呼べない状況すら多数生じた。
 十五才にして初めて戦場に出たウルスラは、それでも戦果を出し続けて来た。日常生活からは誰も想像のつかない平常心と、圧迫感を鮮やかにかわす軽やかさをもって生き残り、敵を打ち倒し、仲間を守った。
 それは遊撃兵としての初戦でも同じだった。
 最前線に立ったウルスラは十分過ぎるほどの後方支援とマリウスの補佐を受けながら、敵兵の間を縦横無尽に駆け抜けた。その働きは時にマリウスも付いて行けない程のものになり、彼女はマリウスが視界から消える度に文字通り一旦矛を収め、味方に平仄を合わせることを厭わなかった。遊撃兵云々以前にマリウスへの注意を払うことを忘れないのが上手く働いたと言えないこともない。
 
 ウルスラの力は、速さの一点に尽きる。
 力でねじ伏せる身体を持ってはいないため、筋肉は大して当てにならない。動きを見慣れたマリウスですら目で追えない速度で敵の数を減らして行く。作業と呼んでもおかしくない簡便さをもって自らの存在を騎士達の目に焼き付ける。彼女は戦場で誰よりも速く走り、飛び、舞うように身体をしならせる。それだけで彼女は騎士の要件を満たしていたと言える。
 部隊内の役割に徹していた時期から敵を弱らせていた人外の速さ。ハイトの目論見通り、それは単独行動に移すことで更なる効果を発揮した。入団試験でウルスラの動きを見た時から思い描いていた戦術が遂に形を成したと、ハイトは最後方で拳を固く握り締めた。まずは部隊秩序の中で経験を積ませ、戦いの作法、流れの読み方、場合分け、優先順位、押し引きのタイミングを身体に覚え込ませる。その上で能力を軸にした戦い方へと場を変える。全ては彼の戦略と同じかそれ以上の完成度で戦場に発現した。
 
 ウルスラがハーフパイクを振う。槍兵がなぎ倒される。援護に回った二の槍をかわして矛先に鉤を絡ませ弾き飛ばす。脇から迫る巨大な盾に石突きを当て、勢いを利用して飛び上がり延髄に踵を叩き込む。崩れた陣形の中央に切り込んで身体を回転させ三人の騎士を斧刃、矛先で切りつける。刺す。鎧の隙間をなぞってやる。開けた空間から部隊長目がけ地面を蹴る。
 当然のことながら部隊長への道を作ったのは敵の作戦であり、ウルスラの通った直後、道は塞がれ彼女は孤立する形となる。
 そこへマリウスが筆頭となって前線部隊が支援をかける。彼の得物はファルシオン。大振りの曲刀で、斬るのに向いているが鎧相手でも相応の威力は持っている。その重い刀を力一杯振り回して、マリウスは今しもウルスラの背中に槍を突き立てようとする槍兵を横薙ぎに打ち倒す。敵部隊の注意が一瞬逸れた間に残りの騎士達が増援とぶつかり合う。
 部隊長の両手剣は細身のウルスラを一刀両断に出来そうな造りだったがそれをまともに受けさせる余裕はない。突きから斬り上げ、袈裟切りの三連撃を全てかすらせもせず後方に回ったウルスラは正中線を狙って石突きの乱れ撃ちを喰らわせ頑健な敵騎士を悶絶させる。腰椎、頸椎、延髄。急所を的確に打ち抜かれて尚必死の抵抗を試みようと両手剣を振りかぶった部隊長の喉を矛先で軽く切り裂く。噴き出す血は少なく、撤退勧告を含んでいる。部隊長がふらついた隙にウルスラは飛び退り、更に寄って来た騎士を、全身のバネを使った回転切りでまとめて切り伏せると部隊長の頭を踏み台にして後方に引き返し、マリウス達と合流した。
 間もなくして戦闘は終わった。
 
 初めて自由に振る舞ったウルスラの心に疲れはなかったが、肉体への負担は度を超えていた。元々体幹の頑強ではない彼女にとって、本気で動くことは即ち体を壊して行くことに他ならなかったためだと仲間は見た。
 それに加え。常人は無意識に自らを崩壊させないよう精神の内に壁を作っておくところ、彼女の中にそれに相当するものは存在しなかった。生来、心のあらゆる箇所に鍵をかけながら育った反動か知れない。ウルスラは、身体にそれ以上進まないよう注意を呼びかける壁を見せることを覚えなかった。否、覚える余裕がなかった。
 内気極まりない。
 このことは単なる性向ではなく、精神と肉体の不均衡をもたらしていたのかもしれない。
「大丈夫ですか?」
 マリウスの心配げな問いに、ウルスラは答える体力を残していなかった。戦闘終了後に後陣へ下がるや野原に寝転がった彼女はいつになっても息が整わず、目は神経質過ぎる人間のように開かれたまま何処とも知れぬ場所を見つめ、四肢の痙攣が収まるまでにも相当の時間を要した。結果、マリウスによって鎧を脱がされその両腕に横抱きにされて町へ戻ったのは目出たいことだったが、一方でハイトら幹部にとっては不安の種となった。
 自室に戻りベッドに横たわらされ、額に濡れた手ぬぐいを乗せられ、やっと意識がまともになった彼女にマリウスは再び問いかけた。
「大丈夫でしたか?」
 苦しげに微笑むウルスラ。ほどかれた髪が放射状に広がっている。頷くや否や、痛みに身体をこわばらせる彼女に動かないよう言いつけ、彼は言葉を継いだ。
「片目であれだけ動き回ったんだから、無理しないで下さい」
 
 
 三、変容
 
 自称天才魔術師兼騎士団付き医師であるモースの診察にはハイト、マリウスも立ち会った。当初は肌が露出することを嫌がったウルスラの滅多にない要求により一対一の形となる予定だったのが、懸命な説得によりマリウスも入室することを許され、更に横槍を入れたハイトもなし崩し的に許可を得た。当然のごとく、扉の外には数人の団員達が出歯亀半分で待機していた。
「当分安静」
 第一声は厳しいものだった。ウルスラの二の腕を触診し、感触と彼女の反応を見たモースは珍しく眉根を寄せ、ハイトに向かって命令口調で告げた。
「何したらこうなるのってなくらい酷いな。痛いだろ」
 ウルスラは目尻に涙を溜めつつ小さく頷いた。直後、また痛みにたじろいだ。
「当分の間、実戦及び訓練は禁止。外出も必要以外禁止。起きる時は出来る限り付き添いを連れること。取り敢えずの処置はしておくけど、この上に無理を重ねたらどうなるか保証しませんよ」びくつく腕に軟膏を塗り、包帯を巻きながら、自嘲するように続ける。「まったく。こうなることを予想しなかったのは私の落ち度だね。お湯沸いてる?」
「沸いてます」とマリウス。
「ここに取り敢えず十包、痛み止めを置いておくから。痛くなったらお湯にといて飲むように。以上」
 マリウスがその内の一包を陶器のコップに解いて渡すと、嫌そうな顔をしながら受け取ったウルスラは恐々一口飲み、溜めていた涙をこぼし、泣きながら残りを飲んだ。
「苦いですか?」
 首肯。マリウスも苦そうな顔をした。
「ま、細かい話は私の部屋でするとして、君はとにかく寝てなさい。眠れなくても寝てなさいな」
 
 弱り切った少女を自室に寝かせるやマリウスは研究室に駆け戻った。
「どうだ」彼が扉を閉めるなりハイトは訊いた。
「どうもこうも」モースがうんざり気に肩をすくめる。「手も足もあちこち腱が切れてるし、骨にも負担がかかってる。皮膚のあちこちが裂けかけてたでしょ。損傷が表にまで出てるんですよ。あれだけの運動したら内蔵や三半規管も無事に済むかどうか分からないし、脳だって揺さぶられて血管が危険に晒される。一体何やらせたんですか」
「遊撃兵だ。単独で前線に立たせたら今まで以上の動きをしていたのは確かだ。うむ、超人的と言ってもいい。しかし、それだけで肉体が崩壊するものなのか」
「多分ですけどね、診た限りあの子は細身だとか体幹が弱いとか、それ以前に身体の組成が人と少し違うんですよ。一言で言えば、脆い。ただ、それだけすかすかなおかげで人と違う運動が出来るのかもしれない。あとね、以前話した感じだと、元々人間が頭にかけてる安全装置を解除出来るみたいね。その二つが相まって、肉体の崩壊を引き起こしかけてる」
「それじゃ、ウルスラを戦わせるべきではないんじゃ!」押し掛け気味のマリウスが横槍を入れた。
「それも短絡的だね。つまりは今まで通り七割かそこらの力で戦わせていればおそらく当分問題はない。しかし、冷たい言い方だけど、あの身体じゃいずれにしても長生きは出来ないよ。だからって寝て死を待てってのも冷たいっちゃ冷たいかね」
「そうか」ハイトが腕を組み、深刻な顔をした。
 マリウスは拳を振わせながら薬品で汚れた床を睨んでいた。
「一応、こちらで安全装置については考えてることがあるんだ。治ったらそれを試してみるし、そちらも色々考えてみてくださいよ」
「分かった」
「ちなみに、マリウスが彼女を養う案は本人が遠慮すると思うよ」
「分かっています」
 マリウスが答えると、モースは話は終わりと言わんばかりにガラスの水差しから直接水をあおった。
 
 執務室でのやり取りはこのようなものだったらしい。
 例によってハイトが執務机に両肘を乗せ、固めの肘掛け椅子に座っている。部屋の中央にある応接用のソファではストイカンが気怠げに煙草を吸いながら天井や窓の外に目をやり、考え事をする振りをしながらハイトの一言目を待つ。
 何年もかけて成就させた計画が途端に頓挫しかけている事実に深いため息を吐き、ハイトは口を開いた。
「作戦自体は成功だった」
「お前さんの言う事はいつだって正しいさ」ストイカンが軽口を返す。
「私の、人を見る目が曇っていたと言うしかないだろう」
「それを言ったら嬢ちゃんが可哀想だ。儂はそれほど落胆しておらんね。むしろ、嬢ちゃんの身体に問題があったのなら、責任を感じて然るべきはモースであって、実際今頃後悔の闇に苛まれているだろう。ふむ。誰が悪い、どこが不味い。それよりも今後についての練り直しを早急にすべきと思うが、団長としては如何かね」
 ハイトは天井を見上げる。苦渋の表情を隠すように両手で目を覆い、歯噛みする姿から騎士団長の威厳はやや損なわれている。
「私の最終目標は、戦争の終結だ」
 ストイカンが煙草の煙で輪を作る。
「それは現状、騎士団の目標でもある。それを達成するためにウルスラの存在は必要不可欠であり、更に言えば最大限に活用すべき持ち駒だと考えている」一旦言葉を区切る。「もしも、現段階でそれを一旦棚上げにするなら、元の布陣に戻す選択もなくはない。だが、私にはその後新しい策を立てられる自信がない」
「自信がない。長の言う台詞ではないな。聞かなかったことにしておこう。こうは考えられんかね。五年後十年後に再び天才が入団する。そいつは強靭な肉体を装備して、常に全力を発揮出来る。遊撃兵も務まる」
「あなたはその可能性があると思うか」
「ないだろうな」
「であれば、次善の策を弄するしかないと、私は考えるのだよ、副団長殿。そして、それに必要な手駒は揃いつつある」
「成る程」
 
 月が二回りし、ウルスラの身体はようやく元の状態を取り戻した。元から筋力で勝負をする騎士ではなかった彼女のこと、リハビリに時間はかからなかった。幸いにして後遺症もなく、出撃命令があればすぐにでも出られる体調になったことを彼女は素直に喜んだ。
 だが、戦局は思わしくなかった。数年間続いて来た戦術は最早天才の存在を前提としたものに変わりつつ合ったため、その一人が抜けると前線はすぐさま不安定になり、数度の戦闘で瞬く間に騎士団、引いては町から均衡が失われ、騎士団の上長、あるいは王とその家臣達からの風当たりも強くなった。原因としては天才を戦術に含めたハイトの経験不足による判断ミスであったのだが、その点を補うべき年長の副団長が機能しなかった点も責任問題に問われた。
 ウルスラが復帰を喜んだのにはこういった背景もある。彼女なりに申し訳なさを感じていたのである。
 また、悪化する戦局にあって獅子奮迅の働きをしたマリウスが大きな傷を負ったことも悪い材料の一つだった。主な世話をしていた人間が倒れたことでウルスラはふさぎ込んだし、人頼みに出来る部分が減って肉体的負荷も増えた。
 従って、彼女が動けるようになってまず専念したことは、マリウスの看病だった。おかげで騎士団は二枚の手札を同時に失い、更なる苦労を強いられた。一時期はストイカンが前線に立った程である。本人がそれを喜んだにしても、騎士団としての格は下がった。
 マリウスが手厚い看護によって立ち直り騎士団の駒が揃ったのは、ウルスラの全快から更に月が一回りした頃のことで、空気はすっかり夏の陽気を孕み、騎士達には厳しい季節の到来を予感させた。人々が半袖で汗を拭く中、彼らは鎧に閉じ込められて衰弱しながら戦わなければならなかった。
 
 身体の回復が終わりに近付くのと前後して、ウルスラは治療とは別件でモースの研究室に出入りするようになった。マリウスは話術に騙されて実験に付き合う羽目になったのではと大いに心配したが、研究室から出て来るウルスラの表情に負の感情が見て取れなかったため、敢えて無視を決め込んだ。
「という感じらしいですよ、愛しのマリウスは」モースは水を飲み飲みからかった。
 ウルスラは真っ赤になって首を振った。
「それはそれとしてだ、前にも言った通り、私が君の身体の安全弁として考えているのは、その見えない左目のことだね。今の段階でそれはただの動く飾りに過ぎない。ところが、私の力を使えば視力を得ることが出来る。ここまでは説明した通り。そこで問題となるのが、君の両目が普通に開いてしまうと君の身体は更なる危険に晒されるということさ。視野が広くなれば把握出来る範囲も倍になる。君の身体はそれに合わせて動くだろう。するとどうなるか。この間の事件がもっと悪い形で起きる。分かるよね。君にとって目がいいことは全力を誘発する要因な訳だ」
 ウルスラは神妙に頷いた。
「そこで私は考えた。片目を、主観ではなく俯瞰のために使えないかと。簡単に言えばこういうことだね。君の左目を一旦身体から外し、いや、そんな泣きそうな顔をしなくてもいいって。最後まで聞きなされ。君を泣かせたらマリウスに叱られる」
 小鳥がさえずるように、辛うじて聞き取れる声でウルスラは詫びた。
 苦笑いしてくせ毛を直し、水を一口飲むモース。相変わらずグラスやビーカーを使うことはない。
「痛みはもちろんない。左目には全く同じ物を義眼として埋め込む。分かるかい、君の左目の複製品が出来るんだ。で、取り出しましたる本来の左目に魔術的処置を施し、視力と、人の思考力に架橋する機能を付加する。そうすると視覚は君の頭に繋がる。そして、それを君の、そうだな、君自身を含めた周囲の風景を見渡せる辺りに固定する。頭の斜め後ろ、少し上辺りがいいか。そうすることで君は自分がどれだけの力で動いているかを、文字通り客観的に見られる人間になる。客観的に見ることは自制への誘導を促してくれるだろう。それが私の考えた歯止めの方法だ。やってみる価値はあると思うけど、どうかね」
 そういった理由からウルスラは何度か研究室に出入りし、危険性などを事細かに聞いた上で、モースの提案を受け入れることにした。
 
 三日後、ウルスラはモースの持つもう一つの部屋、専門治療室に入ると半日出て来なかった。楕円を組み合わせた紋様の鉄扉の外には守衛よろしくマリウスが仁王立ちを続け、不備があれば実力行使も辞すことなしといった風情で威圧の壁を張り巡らした。そこで彼は一皮剥けたと、通りがかった団員の一人は後に述懐している。
 半日近くを要して施術は完了したが、開いた扉に反応して疾風のごとく振り返ったマリウスの目に入ったのは元気な姿の少女ではなく、疲労の色を隠そうともせず、同時に悪魔的な迫力を両眼にたたえた魔術師の顔だった。さすがの彼も、いつもなら胡散臭い余裕を振りまく男の意外な迫力に気圧され自分から結果を尋ねることを躊躇った。
「ウルスラはもうすぐ起きる」モースは誰にともなく言った。「全てこともなし、順風満帆に完了したよ。傍にいてやりなさい。起きたら自室に運んで朝まで眠らせること。そして、この部屋にある全ての物に触るな」
「はい」
 部屋の中央に鎮座する清潔なベッドには穏やかな表情のウルスラが寝ており、胸は規則正しく上下していた。それを見て、彼は半日分の緊張を大きなため息と共に吐き出した。
 
 再度ウルスラの体力が回復すると、ハイトは二人を執務室に呼び出した。召喚は急なものではなかったが、重要度に関しては言うまでもなしというところだった。
 男女二人の若手騎士を執務机の前に立たせ、騎士団長は例によって重々しさに重点を置きつつ簡略極まりない命令を下した。
「マリウスを遊撃兵に任ずる。ウルスラの職位も同様だ。即ち、貴様達二名をもって分隊とし、当騎士団の遊撃隊を新たに創設する」
 マリウスは動じることなく敬礼にて応じ、ウルスラは驚きを隠そうともせずにあわあわと彼に倣った。その割に口元はややほころび、未来への安心感を見せていた。
「理由は説明するまでもなかろう。ウルスラの肉体的負担を軽減するためだ。もちろんその中には団員保護の名目もあるが、あくまで戦術的なものとして捉えろ。現状、我が騎士団の手勢で最も効果的に戦闘を展開出来る方法を模索した結果である。二名とも前回の経験から理解していると思うが、貴様達は既に部隊にとって欠かせない戦力となっている。それを最大限活かし、今後の戦局を有利に進めるため、遊撃隊もまた不可欠と私は見る。だが、ウルスラ一名をもってそれを構成し、期間を定めずに続行するのは、モースの施術を踏まえた上でも不可能と判断した。故にマリウス、貴様を隊長に任命する。ウルスラはマリウスの補助に回る形で動くことを覚えろ」
 ウルスラはやや動揺した。ハイトは嘆息した。
「難しいことではない。隊内で周囲と連携していたことを思い出せばいい。力量を合わせる相手がマリウスに変わったと考えろ。決して独断で動かず、マリウスの動きに呼吸を合わせて戦闘を行え。自らを破壊しない範囲で敵を破壊しろ。マリウスに従い、守り、客観性を失うな」視線はマリウスへ。「貴様は隊長の重責を感じずに動け。常にウルスラが背後にいることを知り、手が四本、八本に増えたと考えればそれで構わない。二名ともに言えることだが、遊撃隊は最後の砦ではなく一の槍だ。最も速く動き、最も早く退く。それを忘れるな。そして、分からない点があれば誰にでも訊くこと。以上、退出せよ」
 今度は二人揃って敬礼をし。同時に踵を返して執務室を出た。その様子を眺めるハイトは、全ての言葉を自分に向けて繰り返し刷り込ませた。
 ウルスラを部屋に送る最中、マリウスはおずおずと手を差し出し、軍手を取り、滲んだ汗を拭いた。ウルスラは戸惑いの表情を見せたものの、すぐに控えめな笑みを目元に浮かべ、両手でもって、上長であり友人以上の関係になりつつある男の申し出を受け入れた。
 
 
 四、終局
 
 二人の息を合わせるのにそれほど時間はかからなかった。遊撃隊が結成される以前からマリウスが常にウルスラを守るよう心がけ、あまり離れない位置取りをしていたこと、またウルスラも団体行動において同期以上の存在であるマリウスを失わないため折りに触れては視野に入れる癖をつけていたことが主な理由と言える。それと共にマリウスはウルスラ不在時に単独突入技術の才能を開花させており、一度は重傷を負ったものの分隊を組むに当たって致命的な実力差はなくなっていた。
 ウルスラの対多数訓練にマリウスが加わってから半月を経た頃、新遊撃隊は早くも実戦段階まで完成度を上げた。
 実際のところ、ハイト以下幹部が想定した以上に二名構成の遊撃隊は実力の高さを見せ付けた。ウルスラ一人で自由行動をとらせた際はややもすると前線に混乱が生じる危険が起きかねなかった初戦とは異なり、マリウスの堅実さに加えて大胆さを持ち始めた動きに彼女は部下として見事対応した。味方前線の安定を図りつつ敵方の陣形を乱す役割、二人が融合することで生まれる守りの意識の高さ、そして時に無謀さを感じさせる程度の突貫。完成度を増したハイトの理想型は春から続いていた沈滞ムードを吹き飛ばす力を持っていた。
 活躍が若手によるものという点も騎士団全体を刺激した。自主訓練を始める者が増え、新兵も希望に満ちた眼差しで厳しいしごきに耐えるようになり、前線から後衛までが活性化され一体感を得たようだった。
 その気勢に気圧されたのか敵都市国家陣営は早期撤退の回数を増やすと共に戦意も明らかに降下傾向を見せていた。
 夏も終わりに差し掛かり両軍とも疲労は蓄積していたものの、騎士団長の望んだ力関係の変化、戦争の終結は刻一刻と近付いているように見られた。
 
 騎士団三巨頭の会談はこのようなものだったと聞く。
「最初からこの形にしておれば良かったか」
「そりゃ言わん約束でしょ」モースが吹き出す。
 ハイトは執務机に両肘を突いたまま頭を抱えた。「私が甘かったのだ」
 ストイカンが励ますように笑った。
「しかし、身体検査でそのようなことは分からなかったのか、モース」頭を上げ、ハイトは言葉を継いだ。
 魔術師の顔が曇る。
「分かっていたさ。ただ、ここまで早く負担が爆発するとは予想していなかった。身体能力の成長が早すぎるんだよ、あの子は。言い訳がましくてすまないけどね。肉体は過ぎた力に耐え切れない。それが筋力の場合もあるし、ウルスラで言えば速度な訳だ。正直、倒れた時に体内を走査させてもらってぞっとしたよ。私が覚えている限りであそこまで綺麗に切り裂かれた身体はない。まるで刃を飼ってるみたいだった」
「お前さんの記憶の限りってなどのくらいのもんだね」
「あんたよりは長いかな」若作りの男は肩をすくめた。「とにかく、切れていただけだからいいものの、あれを超えたら口にしたくもないことが起きる。マリウスと組ませたのは正解だと思うけど、奴もこれから成長して行くだろうし、いずれにしても負荷をなくすことは出来ないよ。正直、策を重ねたところでやっぱり長生きはしないってのが私の所見だね。それでも駒として運用したければ、休み休みやらせることさ。動いたら組織が回復するまで待つ。その間はマリウス一人で回す。もしくは、耐久性強化の施術を使える魔術師か誰かをどこかからこっそり見繕って来るしかないね」
「そんな魔術師もいるのか」
 モースは首肯した。
「分かった」ハイトの返事は短かった。「あなたの埒を越えているのなら仕方ない。そこまで腹を割ってくれただけでも感謝している」
「あまり景気のよろしい話は出んな」
「いつものことだ、慣れている。ストイカンも同じだろう。今はモースの忠告に従うよ」ため息。「何処から見誤ったのか、考えても仕方のないことなのだろうな。今は先ほど言っていた施術か、戦争の終結に力を注ぐしかない」
「後者が早いかもしれんよ」
「うむ。この一月で王は考えを変え始めている。終戦は無理でも停戦まで持って行くことは可能かもしれん。しかし」
 ハイトは後の言葉を飲み込んだ。停戦に持ち込むにはまだ押しが足りない。押すためには現状の戦力が必要不可欠となる。ジレンマは深く、彼は計画の練り直しに労力を費やす外なかった。
 モースが努めて明るく言った。「私の方も当てがない訳じゃない。間に合えば、使えるのを連れて来るから予算の確保に努めていただけるとありがたい。さっき言った奴に前々から頼んでいるのさ。私は肉体強化が出来んけど、そいつなら行ける。組織自体を強化すれば、能力は落ちるにしても自己崩壊を止められると思うよ。腰の重い奴だからすぐにとは行かんけど、期待しておいてよ。ちなみに、内緒だけどこの身体もそいつのおかげ」
 言い終わるや部屋を出て行く彼に長年培った年輪はなく、むしろ己の未熟さを悔いる少年の面影が見られるほどだった。
「ま、何とかなるわな」
「そう考えよう。まさかウルスラ一人にここまで振り回されるとは思わなかった」
「女は恐ろしいですかな、団長」
「いっそマリウスになりたいね」
 二人は神経質な笑い声を立てた。
 
「ウルスラ、町に行きませんか」
 上層部の心配はどこへやら、二人の仲は好調だった。非番の日にマリウスが扉を叩く回数は両手両足の指の数を超え、五回目からは事前の約束も取り付けるようになっていた。
 マリウスは恥ずかしがるウルスラの手を遠慮がちにとる。指の付け根にはタコが出来ている。手の甲にはいくらかの傷跡が見られる。それでも彼はその手を美しいと思った。それを何度も言葉にし、彼女の劣等感を取り除くこともした。
 ウルスラの、最早二重人格とすら言えそうな性格は相変わらずだった。騎士団員に声をかけられただけでも赤くなったし、街に出れば道の真ん中を歩こうとはせず、人の集まる広場の噴水では落ち着かなさそうな仕草をよく見せた。
 それゆえ彼らの逢い引きの場所は人気の少ない美術館や公園といった、周囲を気にしない場所に限られた。早起きの二人は朝食を済ませると誰にも見つからないよう気を付けて外出し、日が暮れるまでには必ず詰め所に戻った。マリウスは黙って夜を明かして来いとよく言われたものだが、真面目な上にウルスラが卒倒しそうだったので決して行動に移さなかった。
 しかし誰もいない時を見計らって額や頬に口づけをする勇気は見せた。
 当初卒倒しかけていたウルスラも慣れると口づけを返し、それから二人でしばらく黙るのが暗黙の了解となっていた。
 
 ハイト等の会談が行われた日、翌日まで非番だった二人はやはり町外れの小さな骨董品展示施設に出かけ、昼食を共にとり、夕方までを過ごした。ウルスラの顔色は良く、疲労の影は見られなかった。常人に比べれば少ないとは言えそれまでになく饒舌で、何かを期待しているようでもあった。
 夕食を外で食べようと提案したのはマリウスで、ウルスラは少し迷った後で首を縦に振った。
 事情通の団員から教わったという隠れた名店はやや薄暗い落ち着いた通りにあった。予約を済ませてあったことをマリウスは言わなかった。その点、彼は少年から青年に近付いていたと言える。
 家庭的な店内にふさわしく料理も素朴ながら無駄のない味わいを持っており、クラムチャウダーを飲んだ時にはウルスラの顔が緩んだし、ミートローフは驚きを引き出した。デザートのフルーツタルトを見た時は、珍しく歓声すら上げた。
「この店のお薦めなんだ」と、彼は冷静を装って言った。
 年季の入った天井の梁と時折流れる古い音楽は場の空気を優しく攪拌し、壁の染みを温かな絵に見せた。他の客までもが家庭的に見え、ウルスラは初めて人のいる場所を好きになった。
 ウルスラにとって初めてのワインが口に合ったのもあってか、数少ない言葉のやり取りはかつてなく滑らかだった。
 店を出ると、ウルスラは生まれて初めて自分から腕を組み、大して身長は変わらないのにどこか力強さを感じさせるマリウスの腕を知った。その事は彼女の心に新たな扉をいくつも作り、同時に開き、衝撃と共に喜びを与えた。同じように、マリウスもウルスラの細さを文字通り身を以て知り、自分の気持ちが強くなるのを感じた。間もなく二人は街頭の下で立ち止まり、静かに唇を重ねた。
 その日、ウルスラとマリウスは、初めて二人きりで夜を過ごした。
 
 翌週の戦闘でウルスラは死んだ。
 
 瞬間、誰もマリウスの背中を守れる状況にいなかった。押し切られる寸前だった敵陣の最終手段とも言える特攻作戦によって秩序を失った戦場では誰もが自分を守り撤退準備を整えるのに必死だった。
 そんな中で遊撃隊の任務を遂行し続けたウルスラの視界に絶体絶命のマリウスが入ったのである。
 もしかしたら前回と同じく重症で済んだかもしれない。敵が失態を犯すかもしれない。しかし、身体はあらん限りの速度でしなり、ねじれ、精一杯伸ばされた。
 
 私は俯瞰視点から見た。自分の身体が千切れ、砕け、崩れて行く過程を。骨から筋肉、神経、血管、そして皮膚へ。全てが同時に行われ、晩夏の空に、マリウスの頭上に、踏みつけられた草原に血の花を咲かせた。
 
 その事件の凄惨さを教訓に、現在停戦がほぼ決定している。だがそれを心から喜んでいる騎士団員はハイトを含め一人もいないようだ。私はモースの施術によってマリウスの思考に繋がった。おそらくこの実直な騎士が亡くなるまで共に在るのだろう。
 
 
 私はウルスラであったウルスラでない者。誰よりも速かった女性騎士はもういない。

後書き
 キャッチーなものを書こうとしているのですが、気が付くとこんなんです。今回は執筆時間が今までになく短く、それによって色々学ぶ所も多くありました。結果として『プロブレマティック』に似た感じになったのは、多分好きなのでしょう。ウルスラというキャラクターを出せたこと、久々にストイカンを出したら全然動かなかったことが印象に残っています。


最後まで読んでくれてありがとう